小説

『桜の樹の隣には』双浦葦(『桜の樹の下には』)

 青年が、通報したときと変わりありません、と述べる。顔の向き以外は、と付け足した。警察官は、通報の内容を確認すべく、男のかたわらに懐中電灯のひかりを照射した。

 タンポポやノゲシをはじめとするキク科、ポインセチアなどのトウダイグサ科、サツマイモなどのヒルガオ科、ガジュマルなどのクワ科。
 それらの植物は、茎や枝に傷をつけると白い液体を出す。乳管を通るその液体は乳液といい、別名ラテックス、つまりゴムの成分だ。タンポポの茎を折ると出る白い汁で手がべたべたしたという経験を持つ人は少なくないだろう。
 では何故植物はそんなものを出すのか。理由は単純。己を守るためである。ゴムのもとである乳液は、酸素に触れると個体となる。植物を食べようとして傷をつけた虫のからだにつくことで自由を奪い、また、口をふさぐ。つけられた傷に対しては、絆創膏のように蓋をして敵の侵入を防ぐ。そうして植物は己のからだを護ることができ、子孫を残してゆくことができるのだ。
「あ! 何するんですか先輩」
「妄想にいちいち付き合ってたら日が暮れる」
 乱暴に折りたたまれたノートパソコンをていねいに開け、いたわるようにあちこちを点検する。わざと大げさな反応を見せたつもりだったが、先輩は察してくれず、横目で画面を見ながらコーヒーをすすっていた。
 画面には植物の情報が広がっている。ちなみに検索履歴には、サクラ、液体、したたる。幼い頃に経験したタンポポのことを思い出してからは、タンポポ、白い汁、切る、となった。そうして出てきた情報を吸収していたのだが、微塵もつながりが見えてこない。そもそもタンポポではなくてサクラなのだ、この事件のキーとなるのは。
 いや、サクラも、もしかしたら無関係なのか。
 思い至って、事件のあらましを頭のなかで反復していると、うなじに冷たいものが触れた。思わず声をあげ、そこに手をやると、何やら四角いものが置かれている。制服の襟首にひっかかっていたそれは触ったことでバランスを失い、背中のほうへ落ちてゆく。苦心して取り出すと、キンキンに冷やされた板チョコだ。既に後姿となっていた先輩は、コーヒー片手に詰所を出てゆくところだった。

 取り調べ初日で、男はすべてを供述した。しかしその内容は捜査員を困惑させ、また、苛立たせるには十分なものだった。切り株のかたわらに埋められていた幼女の死因は、頸部圧迫による窒息死と断定された。白く細い首には、くっきりと、大人の男のものである手形が残っていた。その点について男が語ったことは、こうである。
 夜中、尿意をもよおして目を覚ました。ついでに娘もトイレに行きたくなっていないかと思い、隣を見ると、娘はなんと首を絞められ死んでいた。それで、埋めた。埋めたのはたしかに私だが、首を絞めたのは違う、私ではない。

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