「何している。そいつも乗せろ」
気がつけば、碓氷が連れてきた「商品」は全て幌馬車に押し込まれたようだった。男がすずの首に手を伸ばすのを振り払い、碓氷は二三歩後退する。
「こいつァ違う。街の子だ。間違って付いてきた」
自分は上手く言葉を紡げているか。焦りで舌が縺れる。
分からない。どうして自分はこんなに必死なのだ。
「構やしねえよ。見られちまったからには連れて行く」
「必要ない。この娘は耳が聞こえねえし口も利けねえ。漏れる心配はない」
男はじろじろとすずを見て、半笑いになった。
「傷物か。まあ叩き売りゃ何とかなるだろう。そういうのが好きな変態もいる」
気が付けば、碓氷は背中の風呂敷包みを男に投げつけていた。
すずの手を引き、一目散に道を引き返す。後ろを振り返る余裕はない。
荒い息遣い、怒号、枝を踏み折って迫る足音――違う、聞こえる筈がない。幻聴だ。
一体自分は何をしているのだ。あんな得体の知れない連中に刃向かってただで済むはずがない。早くすずを連れて戻って、あの幌馬車に放り込めばいい。或いはこの小さな手を振り払い、自分一人で街に戻ればいい。
それなのに、よろけたすずが膝を付いた瞬間、碓氷は華奢な体を肩に担ぎ上げていた。
大して鍛えた体でもない上に、慣れない夜の山道に足を取られ息が上がる。月明かりは鬱蒼と茂る木々に遮られ、ほんの十歩先の様子さえも闇に沈んでいる。追っ手が何処にいるのか、すでに追いつかれ囲まれたのか、それともそもそも追われてすらいないのか、聞こえない碓氷には分からない。
とうとう木の根に足を取られ、碓氷は転がるようにその場にへたり込んだ。犬のように喘ぎそうになる声を必死で押さえ込み、肩で息をする。左手の急な斜面に背を向け、近くの巨木に身を寄せて座り直した。
すずは呆然とした顔で、碓氷の腕の中に収まっている。
碓氷は右手に握ったままの黒笛に視線を落とした。やはり、この力に頼るより他あるまい。胸は激痛で今にも破れんばかりで、喉には血の味が張り付き、一小節も息が続く気はしないが、これ以外に碓氷に武器は無い。