小説

『笛吹き男のコーダ』木江恭(『ハーメルンの笛吹き男』)

 碓氷は無言で進み、身を竦める小さな影を数えた。全部で十二。痩せて汚れた顔をしているが、顔貌は並以上の子どもたちだ。確かに、危険を冒して横流しを試みる価値のある「商品」だと、碓氷は川底に打ち付けられた男たちを思い出す。
 子どもたちが声を上げる前に、碓氷はさっさと黒笛を唇に当てて息を吹き込んだ。
怯えて縮こまった四肢を解すように――優しくジェンティーレ愛しげにアフェットォーソ
 子どもたちはすぐに、とろんとした目つきになった。碓氷がゆっくりと庵を出ると、全員がしずしずと後についてくる。提灯を踏み潰して消し、碓氷は山の方へと向かった。
 道すがら、碓氷は戯れに笛を吹き続ける。
 さァさァ、歩け!行進曲マルチャに合わせて元気よく!。
 子どもたちは取り憑かれたように碓氷の後を――否、麻薬のように甘やかな音色を追ってきた。粗い砂粒が裸足の爪の間に入り込み、小石が足の裏を傷つけ、草や木の枝が肌を裂く痛みさえ気にも留めずに。
 哀れだなァ、と碓氷は思った。
 耳なんか聞こえるせいで、気の毒に。
 碓氷は聴力を失う前、高名な音楽学校の生徒だった。西洋式横笛の腕前はもちろん、座学でも他の追随を許さない優等生で、周囲の期待を一身に集め、それをさらなる動力へと変えて前へ突き進んでいた。
 しかし、たった二つの小さな器官が壊れただけで、碓氷の全ては粉々になった。音楽家としての将来、思い描いていた栄光、親や教師からの期待、そして美しい恋人の愛。憐憫や嘲笑に耐え兼ねて学校を辞め働こうとしても、耳の不自由な碓氷を雇う奇特な人間は見つからなかった。
 惨めだった。毎日昼から酒場に入り浸り、道端で吐いては留置場にぶち込まれ、終いには誰も身柄を引取りに来なくなった。
 碓氷が組織に拾われ黒笛を与えられたのは、その頃のことだ。
 黒笛はいい。耳が聞こえるというただそれだけを笠に着て、自分を散々見下して虚仮にしてきた連中を意のままに操ることが出来る。黒笛を吹き鳴らす時、碓氷の胸は暗い喜びで満たされる。
 組織の人間との待ち合わせは、山を四半刻ほど登ったあたりの元石切場だ。碓氷が辿り着いた時には組織の人間がすでに到着していた。傍らには闇に紛れて、幌の付いた馬車が止まっている。

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