小説

『笛吹き男のコーダ』木江恭(『ハーメルンの笛吹き男』)

 しばらく時間を置いてから、碓氷は立ち上がった。笛は組み立てたまま袖口に隠し持ち、来た時の逆を辿って裏口から外へと抜け出す。後は男たちから聞き出した隠し場所へ出向き、商品を組織へと引き渡せば、碓氷の仕事は終わりだ。
 通りはいよいよ夜の盛りといった風情で、誰も彼も浮かれてそぞろ歩き、千鳥足で寄り道を楽しんでいる。怪しまれないよう、碓氷も物見遊山を装ってぶらぶらと歩いた。
 川の辺りを通りかかった時、人だかりが出来ている一角を見つけて、碓氷はさりげなく近づいた。川べりに筵が四つ並べられ、端から汚れた裸足の足が突き出している。碓氷は、気味悪そうに両手を合わせる人々の口元を観察した。
「酔っぱらいが川に落ちて、頭打ってそのまま」
「まともに歩けもしないってのに、欄干に登って手を振り回してたとか」
 どうやら思惑通りに事は進んだらしい。満足に緩みそうになる頬を引き締めて、碓氷は大通りへと戻った。
 通い慣れた飯屋の前を通り過ぎ、目抜き通りが終わると途端に家並みが途切れ、辺りは寂しくなる。月明かりを頼りに進むことしばらく、人家も店もまばらな外れに鈴虫庵はあった。茅葺きの屋根は半分ほど腐り、壁には蟻が巣を作っている。ほとんど垂直と言っていいほど傾いた板切れに、かろうじて鈴虫庵の文字が読み取れなくもない。
 そんな空家の軒先に、剣呑な様子の男が二人、提灯を囲んで座り込んでいた。
 鼠は四匹じゃなかったのか。碓氷は心中で舌打ちする。
 近づいてくる碓氷に気がついて、男たちが立ち上がる。唾を飛ばして何かを喚きたてるのを眺めながら、碓氷は笛を構えた。
 さァて、極上の子守唄ララバイを聞かせてやるとしよう。
 眠れ眠れェ――可愛い坊やたち――。
 ほんの数秒で、事態は片付いた。ぼんやりとした表情でしゃがみこんだ男たちに、碓氷は優しく「寝てな」と声をかけた。途端に瞼を閉じて崩れ落ちるのを確認して、碓氷は立て付けの悪い引き戸をこじ開けた。
 中は薄暗い。軒先に置かれたままの提灯と、壁板の間から差し込む僅かな月明かりが唯一の光源だ。目を凝らせば、むき出しの地面にかろうじて置かれている何枚かの畳も、朽ちてぐずぐずに崩れているのが分かる。
 そして大して広くもない屋内の片隅で、幾対かの目玉がじっと碓氷を見つめていた。

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