茜楼に入り込むのは訳がなかった。ちょうど戌の刻の頃に辿り付き、明るい表門を見て足を止めかけたところで、見知らぬ男がぽんと肩に手を置き、裏口から入れてくれた。こういう時、碓氷は組織の連中が恐ろしくなる。一体、何を何処まで知っているのか。どうしてぴたりと碓氷を見つけ出せるのか。背筋がぞっとするので、それ以上は考えないようにしていた。
物陰で笛を取り出し、風呂敷包みを再び背中に括りつけ、碓氷はさくらの間を目指す。場所は先ほどの男が教えてくれた。全く至れり尽せりとはこのことだ。
二階の廊下で、さくらと墨で彫り付けられた小さな木の板を壁に見つけ、碓氷は足を止めた。一つ息を吐き、襖を一気に開け放つ。
車座になって酒を飲んでいた男たちが、ぎょっとした顔で碓氷を見上げた。素早く数えると、四。間違いない。碓氷はすぐさま部屋に踏入り、後ろ手に襖を閉めた。
貴様、何者だ。おい、人を呼べ。ぱくぱくと動く口を冷めた目で眺めながら、黒笛を唇に当てた。
息を吹き込み、指を走らせる。
気品高く、優しい愛撫のように――震えるように甘やかな音色で、絡め取る。
瞬く間に男たちの口は喚くのを止め、だらしなく半開きになった。目は焦点を失い、いきり立っていた肩から力が抜け、手足を投げ出すように次々と崩れ落ちる。
碓氷は目を眇め、男たちの醜態を嘲笑った。
黒笛が奏でる音楽は聞く者の正気を奪い、命令通りに動く人形同然にしてしまう。一種の催眠である。しかし欠点もあり、笛を吹いている本人さえもその魔力から逃れることは出来ない。吹き始めて十数秒もすれば、己の笛の音に意識を絡め取られて失神してしまう。
しかし、碓氷に関してその心配は無かった。
何故なら、碓氷は数年前に聴覚を失ったからだ。
男たちの体から力が抜けきったのを確認して、碓氷は笛を唇から離した。一度催眠状態に入ってしまえば、笛を止めても問題はない。
碓氷は深く息を吐き、ゆっくりと吸った。