小説

『きのうの私』まやかし(『ドッペルゲンガー』)

 だから私は電車に乗って、横浜駅にやってきた。今日から塵に還れるように。休日は普段よりもっと人が多い横浜駅は、いつもと違って楽しげだ。毎日みんなこれくらい、のんびり歩いてくれればいいのにと思う。
 横浜駅の西口を出て、大きなビルの隙間の坂を登っていく。陸橋をこえ大きな公園をこえて、職場に着くほんの少し前、月極め駐車場の砂利をどかす。すぐに焦げ茶の地面が見える。
 私はもうわかっていた。私はここにいる。シャベルはどこかに忘れてきた。そばにある垣根の枝を折って地面をほじくり返す。黄土色の土のそのまた下に、スーツ姿の私がいた。疲れきった顔をしている私。鞄を開くと辞表が入っていた。仕事を辞めたいと思っているのに、いつまでたっても辞められない今の私。
 そのまま会社に入って自分の荷物を整理する。ちょうどいい段ボールを見つけ出して私物を放り込む。次年度以降も使えそうなものは書類棚に年度ごとに分け、企画書は同じグループの同僚の机に置く。ごめんなさいと書き置きして、彼の好きなチョコレートをお詫びに添える。上司の机に辞表を置いて出て、職場のカードキーはポストに入れた。
 私を埋めてあげようと思ったら、すでにいなくなっていた。きっと塵に還れたのだろう。横浜から相鉄線で海老名まで出て、小田急線に乗り換えて本厚木駅で降りた。私が最後にライヴをした場所へ行きたくなった。コンビニで学生時代に好きだった骨つきチキンを買って、歩きながら食べた。数年振りに食べたら油っこくて、残してしまった。
 この辺りでは一番大きなライヴハウスで、駅からも見えるほどだったのに、なかなか見つからなかった。道を忘れたのだろうと意地になって探したが、そこは何かの会社のビルに変わってしまっていたのだった。
 私は食べきれなくなったチキンを、ビルの植え込みに埋めた。辺りはすっかり暗くなっていたが、街灯の少しの明かりさえあれば道に迷うこともない。
 これで私もみんなのように、今日から塵に還れるだろう。

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