きのうの私が埋まっていた。それは生きているわけでも死んでいるわけでもなく、ただきのうの私なだけだった。
家の庭を掘っていたら、それは砂の中から現れた。
「ああ、ドッペルゲンガーか」と、ぼんやり思う。もう一人の自分を見るとしばらくして死ぬ、と聞いたことがある。大きな不幸に見舞われる、とも。とはいえ、だらしない部屋着姿のきのうの私が、それほど恐ろしい奴には思えない。その横顔を眺めていると、鏡で正面から見たときよりも平らな顔に、恥ずかしさと憎たらしさを覚える。
社会に出てからおんなじことを、毎日毎日繰り返した。機械仕掛けになった私の頭は、わからないことは作業的に誰かに聞く仕様として完成していた。
家の中では洗濯が終わったメロディが流れていた。靴を脱いで部屋に這い上がると、ぱたぱたとせわしなく階段を降りる母の足音がする。
「ねえお母さん、私見つけたんだけど」後ろ姿に聞いても「そう」と片手間に返される。それでも私はめげない。わからないことはわかりそうな人に聞くしかないのだ。
「お母さんは自分見つけたことないの」自分でも何を聞きたいのかわからなくなる。それでも母は「ないよ」と当たり前のように答えた。
「どうして」
「自分探しなんかしようと思ったこともないからねえ」母は洗濯物を取り出す手を止めなかった。
「どうしたらいいかな」
「さあねえ。あんたの好きなようにするのがいいんじゃないの。あんたの人生なんだからさ」一度もこちらを振り返えらずに、二階に上がって行ってしまった。
――私の人生――
たしかに今の私の人生は私のものだ。では、きのうの私の人生は誰のものなのだろう。きのうも今日も、明日だって私は私だ。いつの人生だって、自分のものには違いない。そう思っていたが、実際にもう一人の自分を前にしてみると、別の人間の、別の人生のようにも思えてくる。
地面はある程度掘り起こすと、固く焦げ茶色をした土の層に行きあたる。さらにその下には、とても柔らかく細かい灰色の砂があるのだと知った。きのうの私が眠っていたのはそんな柔らかな層だった。
家族のドッペルゲンガーも埋まっているかもしれない。実家の小さな庭をうろうろし、手当たりしだいにざくざく掘る。けれども、どこをいくら掘っても灰色の砂のようなものが出てくるばかりで、見つけられたのは私だけだった。