小説

『白雪姫の遺言』日野成美(『白雪姫』)

 それは真っ赤に焼けた鉄の靴だった。灼熱まで熱せられていて、これを履いて女王は踊らなければならないんだ。
 女王はのどを大きく動かしてつばを飲みこむ。それからふと白雪姫に向かって、醜く顔をゆがめて笑いかけた。火で真っ赤に焼かれた鉄の靴を傲然と見下ろし、頭を高く上げて、その焼けた靴に足を差し入れた。
 悲鳴を噛み殺そうとして奥歯が砕けた音がした。夫の国王が悲鳴に似た大声を上げて、人垣をぬって進み出てきた。女王はその手をとって大広間の真ん中に誘った。
 壮烈なワルツだった。女王は曲の旋律を全身でからめとるようにして舞い踊った。緋色のドレスは薔薇の花のように広がり、鉄の靴が大理石の床を高い音をたてて拍子を踏む。こんなに華やかで悲壮なダンスは見たことがなかった。美しかった。あのワルツは世界で一番美しかった。痛みに眼を見開いて、それでかつ平然と頭を上げる女王には王者の風格があった。曲が終わる。木の葉のようにくるりと回ってあおむきに倒れて、女王は気絶してしまう。人の肉と脂が焼ける気味悪い匂いが、大広間いっぱいに満ちた。
悲鳴が上がった。ご婦人方が雪崩をうって逃げ出していく。えずいて吐く者もいる。興奮したささやきが交わされる。しかし来賓の大半は何が起こったかわかっていない。国王は女王を腕に抱いたまま、愕然と娘の白雪姫を見上げた。
 白雪姫が嘲笑っている。体中から憎悪の炎をたぎらせて、父親を憎しみの眼で爛々とにらみすえ、歯を食いしばって泣いていた。その姿はすべてを焦がす夏の斜陽のように美しかった。国王は立ち上がった。
「宣戦布告だ!」
国王の張り上げた声に、大広間が水を打ったようになった。
「一国の后に許される仕打ちでない、王者として見過ごしにすることは断じてできんぞ」
「よろしい、戦だ」
 王子様もさっと立ち上がる。怒りに顔をゆがめて体を震わせていた。
「貴方が国に戻って兵を整える時間を二日だけ差し上げよう。ただしご自分の良心に問いかけてみることだ、貴方が何の報いを受けているかということを」
 その時だった。女王の喉から獣のような断末魔のうめき声があがった。
 白雪姫が音もなく立ち上がった。婚礼の純白のヴェールを長くひきずって玉座を下りると、膝を折って継母の女王の上へとかがみこむ。女王は最期の力で白雪姫の腕をきつくつかんでささやいた。白雪姫はその最期の言葉を黙って聞いた。

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