小説

『踊る井田の花』ノリ•ケンゾウ(『小さなイーダの花』)

 一方的に、高木が私のことを好きであると決めつけられ、それをクラスの女の子たちまで本気にして、あるいは半分面白がって、彼女たちは私に高木を好きになるよう仕向けてきた。嫌だった。なにが嫌って、当の本人である高木が、からかわれるごとに歪んだ笑顔を見せたことだった。それを見るとたまらなくなった。高木は私のことを好いているとされるのを、本気で嫌がった。そういう顔をしていた。私も嫌だった。私は高木のことを本当に好きとも嫌いとも思わない程なんとも思っていなかった。それなのに雨の日の昼休みが来る度、私の名前が男子たちの間から教室全体に聞こえる大きさの声で響く。みんながこっちを見る。少しにやついた顔で、好奇心を隠しきれないように。
「よく分かんないよな。小学生って」
 木村のその言いように、お前が言うな、と腹立たしくなる。たしか木村が率先して高木をからかっていた覚えがある。たしかに今でこそ、笑い話なのかもしれないし、私も後生大事にその恨みを抱えているわけではなかったし、そもそも今日ここに来るまでは覚えてもいなかったけれど、あの頃の私にとっては、雨の日の昼休みに教室にいることが嫌になるくらいには深刻な悩みであった。
 教室の中にいることが嫌になったので、私は傘を持って校舎の外に出た。
「そうだそうだ、こんなこともあろうと持ってきたんだ。文集。見ろよほら、お前たちの文集だよ」
 何に対する言い訳なのだろう。先生は自分の非を撤回するかのような口調で、紙袋の中から一冊の文集を取り出す。先生の声だけは、過去も現在も変わっていない。
「うわ、なにこれー。全然覚えてない。私たちこんなの書いたっけー」
 はしゃぐ声がする。
 騒がしい声から逃れるように、私は下駄箱で上履きから外履きに履き替え、傘を開いた。水溜りに足を踏み入れるたび、ぴちゃぴちゃと音がする。
「これにな。転校する井田に向けた寄せ書きが載ってるんだよ。みんなで書いたろ、寄せ書き」
 私は輪から離れるように、誰の声も聞こえなくなるように、傘をさしているにも関わらずレインコートまで羽織ってフードを深く被り、校舎の裏を目指して歩いていく。
「おい、どこにいくんだーー、ーーもこっちきて一緒に寄せ書き見たらいいのに」
 先生の声を無視し、私は降りしきる雨の中、ある場所へと向かって歩を進めていくのだった。
 レインコートの裾から入ってきた雨が冷たい。何度も水溜りを踏んだせいで、靴の中までびしょ濡れで、不快になりながらようやく辿り着いた先に、井田ちゃんの花壇はあった。学校のどこに、こんなスペースがあったのだろう、と思うくらいに大きくて、それなのにひっそりとしている花壇だった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10