それから少しの間、井田ちゃんは元々いなかった人として扱われ、じきに井田ちゃんが話題になることもなくなった。私も話している内にその気になって、井田ちゃんなどという少年は初めからいなかったような気分になった。もちろん、井田ちゃんが本気で存在してなかったのだ、と思っているわけではない。ただそう思おうとすれば思えてしまうほどの記憶でしか井田ちゃんを憶えていないということだった。それに本当は、井田ちゃんに限らず、こうして同窓会にやってきている人たちの存在ですら、まったくどこかに仕舞い込んでいたかのように、記憶から追いやられていた。木村と美紀ちゃんが付き合っていたことも、二人に会うまでは完全に忘れてしまっていた。いや、忘れていたのではないかもしれない。ただ思いめぐらす機会がなかった。たぶん人の記憶は、残っているものではなくて、箪笥の抽斗にしまってあるものであった。引き出す機会がなければ、記憶などないものと一緒で、たくさんの人や出来事が、箪笥の奥底で眠っている。
「おう、お前ら。元気か」
小学校時代、私たちの学年をずっと担任していた鈴木先生が私たちに声をかける。各テーブルを回って生徒たち全員と話をしているようだった。昔から生徒たち全員に、まんべんなく声をかける先生であった。と記憶しているのは、今の先生の姿を見た私の思い込みだろうか。鈴木先生は僅かに年老いたように見えるが、他の生徒たちのように目に見える変化はそれほどなく、まるで鈴木先生の時間だけが止まっていたかのようであった。大人たちが経る八年の月日と、私たちが中学を卒業して成人するまでの八年間には大きな乖離があるのかもしれない。
「先生、全然変わってないじゃん」
「うん、ほんとほんと。何にも変わってない。」
木村と美紀ちゃんが声を上げると、
「そんなことないだろ。まるで変わっちまったよ。白髪も増えたし、体重なんて五キロも増えたんだぞ」
と、苦い顔をした先生に高木が、
「はは、先生そんな違い気づくわけないって」と言い、
「お前は変わりすぎなんだよ。今じゃ先生よりもずっと大きいじゃないか」
と、先生がすかさず返す。そう言いながらも、鈴木先生は嬉しそうな顔をしていた。