小説

『神隠し沼』宮城忠司(白山麓民話『孝行娘』)

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 伝造はここ二ヶ月の間、毎日天を仰ぎ溜息を漏らしていた。梅雨に入ってからも一滴の雨さえ降らなかった。このまま日照りが続くと稲穂が枯れてしまい、来年まで飢えに耐えしのぶ策を講じなければいけなかった。餓死するかも知れないという恐れで、眠ることもままならなかった。
 先祖から受け継いでいる伝造の棚田は、手取川の源流、谷間の一角を段々に石積みしたもので六反部ばかり、幾何学模様を描いていた。これまで、沢水が涸れたことが無かったから伝造は安穏として、貧しいながら三人の娘を育てていた。
 その日も燦燦と輝くお陽様を仰ぎ、途方に呉れていた。水気を失った田に、タニシやゲンゴロウの死骸が点々と並んで、中には干からびた蛙のミイラまで残っていた。
 コンコンと肩を叩かれ伝造は振り向いた。何処から来たのか白装束に杖を左手に持ったお坊さんが立っていた。初めて見る顔だから伝造は不審に思い、暫く呆然としていた。四十半ばの、その坊さんが声を掛けた。
「これこれ、伝造!溜息なんぞ吐いて、どうしたんじゃー?」
 見知らぬ者が自分の名前を知っている事に伝造は驚いたが、殊のほか、そのもの言いが村言葉ではなかった。旅の坊さんに違いはなかった。
「見た通りや。田んぼが干上がってしもうた。このままじゃ冬を越えられんかもしれん。心配で寝れんわい!」
 その時、天災の所為で尋常を逸した伝造だった。しかし、坊さんが嘲りの笑いを浮かべたように感じ不愉快になった。
「帰ってくれ!はよう帰ってくれ!独りにしてくれ!」
「まぁーまぁー伝造!話を聞け。雨なんぞ直ぐにでも降らしたる。ワシゃ雷神を知っとるから、そんなことぐらい簡単なこっちゃ」
 藁にもすがりたい伝造は坊さんに賭けて見ようと思った。
「雨さえ降らせて貰うんなら、何でもお礼をしますわいね。頼んますさかい」
 坊さんはにやりと笑った。
「よう言った伝造。約束じゃぁー。お前んとこに三人、娘がおらっしゃるじゃろう?もしもワシが雨を降らしたら、一人嫁にくれんかのう?」
「分かったわい。約束じゅぁー。頼むさかい雨を::」

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