小説

『ツバメとおやゆび姫』五十嵐涼(『おやゆび姫』)

「江藤くんが通っていくのが見えたから」
 荒れた息を整えながら少し早口に話し出す。
「おばあちゃんが倒れちゃって…体調が悪いの。だから当分あの場所で江藤くんに会えなくなると思って。それで」
「え………」
(それを言う為に走ってきてくれたのか?)
 僕の心臓がドキッと大きく揺れる。
「これからは看病をしなきゃいけないから、あそこで会えないけど、でも学校で会えるから」
「う、うん」
 ゆっくりと頷くと、和泉も頷き返す。
「じゃあ、私戻らなきゃ」
「ああ、また明日!学校でな」
 くるっと背を向けると、また和泉は走っていってしまった。

 しかし、それっきり和泉と会話をする事は無くなってしまった。和泉は学校も休む事が多くなり、彼女の前で演奏する事もないまま、季節は冬を迎えていた。

 洋介さんも居なくなり、一人きりの練習を終えた帰り道。和泉がもう来る事が無い事を分かっていても、それでもやはり僕はあの場所を通っていた。あの日以来、スタジオへの行きも帰りも、一日も欠かす事なく通っている。いつかここで和泉に会える、それが僕の中で一人きりになってもギターを諦めない原動力になっていたからだ。
「すっかり寒くなったな」
 吐き出す息が白い塊となってふわりと宙に消えていく。
「そういや、洋介さんから東京に来いってLINEが来ていたな」
 スマホを取り出し、もう一度文面を確かめる。良い報告があるという部分に、きっとメジャーデビューが決まったのだろうと僕はすぐに察した。
「新幹線代まで出すって、こりゃ間違いないな。しかも明日って急だなおい。まぁ、土曜だから良いけど」
 画面をみたまま独り言を呟き歩いていると、視界の隅に人影らしきものが見えた。

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