「じゃあなんでこんなアルバムを作ろうって言ってくれたの?」
日下が言った。いま日下はどこにいるのか、どうやって俺と話しているのか、だんだん曖昧になってくる。これは7年前のことなのか、それとも俺の勝手な妄想なのか。
「こんな、アルバム……」
「『不思議の国のアリス』をモチーフにして作ろうって言ってくれたじゃない」
そうだ、あのアルバムを提案したのは日下じゃない。俺だ。
「僕は、“金色の昼下がり”に宇佐見君もいたからだと思う」
金色の昼下がり、キャロルはリデル家の三姉妹にお話を聞かせた。3人はお話に夢中になった。夢の子の行く地、未知の不思議の数々……――
3人になって初めて人前で演奏したのは、涼介が最初に作ってきたあの曲だ。観客は多くはなかったと思う。その場の熱気だけでいろんなものを測っていたので確かではない。涼介が弦を弾き、日下が鍵盤を叩く。空気が揺れて、頭の中が揺れて、腹の底が揺れる。いろんなものの振動が混ざりあって、ときたま大きな波を作る。瞬間、後ろの日下と涼介と、確かに目が合った。波が体を貫いて、喉元まで突き上げる。俺は文字通り叫んでいた。体内に振動を残したまま、舞台袖で日下が言った。
「定員があるんだっけ」
脳に酸素が足りないらしく、いつか話したアリスと姉妹たちのことだと気づくのに若干の時間を要した。
「……胡散臭い、」
頭が回らないのがなぜか心地良い。
「ロリコンのオッサンが決めた定員だろ」
俺が言うと、日下がきょとんという顔をして、直後に噴き出した。何がツボに入ったのか、やけに長い間笑っていた。お前が言ったことだろ、とぼやいていると、後ろから涼介が駆けてくる。バン、と音をたてて日下の背中を叩き、そのまま肩に寄りかかって脱力した。日下の笑いがやっと止まる。最後は涙目になっていた。あんなに大笑いしている日下を見たのはあれが最初で最後だった。
「『不思議の国のアリス』の最後の場面、アリスはロリーナの膝で目を覚ます。ロリーナはアリスの冒険を追想する。もっとも彼女が目を開ければ、すべて退屈な現実に変わってしまうけど……」
日下が立ち上がって、歌い上げるように言う。
「でもロリーナは思うんだ。幼い妹はこれからどんな大人に成長していくんだろうか。一歳ずつ大人になってもなお無邪気な心を持ち続けて、自分のような子どもたちの悲しみを一緒に悲しみ、喜びを一緒に喜んでいるだろう」
少しあって、日下がまた語りだす。