小説

『リコレクション・イン・ゴールデンアフタヌーン』こがめみく(『不思議の国のアリス』)

 そこで目が覚めた。覚める、という言葉を使うにはあまりにも夢特有の曖昧さを欠いた夢だったが、それが夢なことは確かだ。俺が日下や涼介と音楽をやっていたのは、もう7年も前の話だった。
 テレビの音がうるさい。昔店主に直接そう言ってやったのに、いつまでたってもこの店からテレビが取り払われる様子はなかった。休日正午の店内で居眠りを始める客に、注意の言葉ひとつないような喫茶店である。売上を伸ばす気があるのかも怪しい店に店内環境の向上など求める方が馬鹿なのかもしれない。テレビは、この店の陰の主でもあるかのように鎮座し、相変わらずの気ままな騒音を垂れ流し続けている。
 番組が変わって聞こえてきた音楽に、ぼんやりとしていた意識がふと澄んだ。ここ数週間テレビやラジオが挙ってヘビーローテーションしている、ハイテンポのアイドルチューン。ついさっき、眠りに落ちる直前にもこの曲を耳にした気がする。その前はいつだっただろう、と考えていて気がついた。このところ、俺には妙な回想癖がついているのだ。7年前の回想から目覚め、柄にもないと自嘲する。そのときにふと耳をすます。すると決まってこの曲が聞こえてくる。
 実際のところは逆だった。俺が回想するとこの曲が鳴るのではなく、この曲に導かれて俺が回想しているのだ。何か特別な思い入れがあるわけでもないこの曲に。もっとも、この現象に曲への思い入れなど関係ないことも、この曲がほとんど強制的に俺を回想へ誘う理由も、とっくに自明だった。テレビ画面に目を遣り、そこに映し出されるはずの文字を待つ。
 【 扉を開けて☆リコレクション 曲:日下直也 詞:日下直也 】
 遠い記憶の中の名前が、ほんの数メートル先の画面に浮かび上がる。一介のマイナーバンドマンから、時代を席捲する天才プロデューサーへとのし上がった男の名前だ。
 画面から目を離して曲を聞き流す。ハイテンポでビートが刻まれ、女性アイドルの歌声が音の波に乗る。あいつはアレンジもやったんだっけか。何か妙な感じだった。この曲はもっとゆったりと聴かせるべき曲のような気がする。雰囲気がどうとか、メロディーラインがどうとかの話ではない。曲が、曲の本来の姿から無理矢理離されている。そんな感覚がした。
 再びテレビを見遣ると、曲は既にアウトロに差しかかっていた。アイドルたちが笑顔を振り撒く。俺は圧の強い息を吐き出した。
 今になって何を音楽家ぶっているんだろうか。7年前でさえ、俺はまともに音楽家だったことがなかった。作詞作曲はおろか、構想の段階にも積極的に関わった覚えがない。バンド内での役割上、最終的にはボーカルという形で関わることにはなるのだが、それさえまともにこなしていたと言える自信がない。おそらくそれで問題なかったのだろう。日下や涼介は何も言わなかった。いや、もしかするとこれは俺の記憶違いで、実際の俺はもっと熱いボーカリストだったのかもしれない。音楽は確かに好きだった気がするのだ、絶対に、多分、きっと。頭が混乱してくる。日下がこの曲を世に出してから、俺はどこかおかしかった。今まで7年前のことをこんなふうに思い返すことなどなかったのだ。その証拠に、思い出される情景はたいていの場合ひどく曖昧だった。何故か日下は『不思議の国のアリス』に凝っていて、『アリス』をモチーフにアルバムまで作った。確かバンド名の由来もそうだ。ゴールデンアフタヌーン――“金色の昼下がり”。『アリス』とどう関係あるんだったか。
 

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