翌日は、大家が家賃の差額の清算に店にやってきた。
「それにしても、エロエロベロンチョってなんですか、ひっでえなあ」
「分かりやすいのがいいんだよ」
「まあ、ボロアパートの経営してる時よりは、はるかに儲かってるんでしょうねえ」
ケンジさんは、勝手に部屋を引き払われ、家財道具を処分された埋め合わせに、店の倉庫を、生活できる和室に改装してもらう約束を取り付けた。
「だけどさあ、あんたも、こんな辺鄙な場所で店をやろうなんて、変わってるよね。親父さんの代の時は、駅前で営業してたんじゃなかったっけ?」
「親父の店をそのまま継ぐのには抵抗があったんです。しばらくサラリーマンやってた時期もあって、続かなくてすぐ辞めちゃったけど。それに……、若い時は、ほら、カッコつけて妙に厭世的になるもんでしょ。一人だけの孤独な世界を作ってみたくなったりね」
そう言いながら、棚に積んである古いレコードを指差した。
「それでも、常連さんが結構ついてくれて、毎日、賑やかだったな。今はもう、そういう常連さんもほとんど死んじゃったけど。そういえば、高架下の飲み屋のユウさんはどうしてます? あの人が、うちの、生きてる最後の常連客だったんだ。ちょっと入院したりしてたでしょう」
「ああ、あそこの大将ね……」
その晩、ケンジさんは、ユウさんの店に飲みに行った。ユウさんは、3年前に亡くなっていて、店は、ユウさんの面影のある若者が継いでいた。息子ではなく、どうやら孫らしい。
天井の角のテレビでは、オリンピックの中継だろう、水泳の様子が映し出されていた。
「岬の喫茶店のマスターなんですね、じいちゃん、午前中にコーヒー飲みに行くの日課にしてましたもんね。古いレコードが聴ける店なんだってよく話してたなあ。じいちゃんって、家にもレコードをいっぱいもってたけど、聴かせてもらったこと一度もないんですよ。大人の遊びだからって」
「そういえば、うちの店に、ユウさんが置いて行ったレコードが何枚かあるよ。また、もってこよう」
面影のある孫と話すのもいいもんだが、ケンジさんは、飲みながらため息を付いた。ユウさんに話したかったなあ、うちの店に乙姫が来たぜ、って。ユウさんならおもしろがって聞いてくれただろう。美女だったかとか、おっぱいは大きかったかとか、どうせ馬鹿なことばかり聞いてきたに違いないが……。
そんなことを考えつつ、カウンターの向うのユウさんよりは、50歳は若そうな孫にケンジさんは話しかけた。