小説

『彼女のcoffee time』山下みゆき(『浦島太郎』)

 春野はすぐに資料を出してきてくれた。
「3日3晩で戻ったら300年という説もあるし、700年経っていたっていうのもありますね。3日3晩ではなくて、3年行っていたというのもあるし、結構ばらつきがあるなあ」
「あのぶっ飛び具合だと、3日3晩で700年てのが怪しいな」
 ケンジさんは春野に聞こえないように小さく呟くと、鉛筆と手帳を出して、落書きでもするように計算を始めた。
「丸3日が700年だったのだと仮定するならば、700割る3で、1日がおよそ233年ということになる。1日は24時間だから、233年を24で割ると、だいたい10。つまり、1時間がだいたい10年ってことだ。そうなると、その半分の30分は、およそ5年……」
 ケンジさんは、思わず立ち上がった。静かな図書館の中で、椅子のがたん、という音が大きく響いた。
 あのレコードは確か30分だった。それが5年分で、レコードをかけるまでと、レジで金を払ってた時間がおまけの半年分なんだ、ぴったりじゃねえか! 
 間違いない、彼女は乙姫だ。じゃあ、玉手箱は? そういえば、あの日ドアを開けた時に、身体が妙な具合になった。やばい感覚だった。まさか、俺の場合はあの店が玉手箱だったのか。
 青ざめたまま立ちつくすケンジさんを、春野が困惑した表情で見ていた。
「あっ、ごめん。おかげで少し分かってきたような気がする、ありがとう。それから、店は前と同じ場所にちゃんとあるんだ。だから、またコーヒー飲みにきてよ」
 ケンジさんは、それだけ言うと図書館を後にした。
 

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