小説

『彼女のcoffee time』山下みゆき(『浦島太郎』)

「ずっと店の中にいたんです」
「でも、岬の上の店、なくなってたじゃん」
「えっ?」
「おかしいと思って、様子見に行ったら、土台のコンクリートまでそっくりなくなって、ダンゴムシがいっぱいの湿った土だけ残ってたんだもん。見事な夜逃げっぷりだって、あたしゃ感心したんだよ?」

 帰りは、大家が車で店まで送ってくれた。日が傾いて、店の影が長く黒々と伸びていた。大家は、車を降りて不思議そうに店の壁を手で触った。
「そんな、孫の土産にダンゴムシ拾って帰ったのに」
 ケンジさんは、今日起きたことをそのまま全部話そうかと思った。だが、こんな話、誰が信じてくれるだろう。
「夢でも……、みたんじゃないですか?」
 諦めて適当なことを言った。自分だって夢だと思いたかった。
 その晩は、大家が譲ってくれた客用布団を、店の固い床に敷いて眠った。

 翌朝、やはり日付が5年半後のままであることを確認したケンジさんは、駅の裏にある神社に駆け込んだ。
「魔除けの札って、置いてあります?」
 社務所の若い巫女さんは、慣れた様子で聞き返してきた。
「何か、霊障でお困りですか?」
「霊障なのかな? 幽霊かもしれないし、妖怪か魔物かもれない。とにかく、そういう怖くてヤバイやつが店に入ってこれないようにするお札が欲しいんです。結界張るみたいなやつ」
 巫女さんは、静かに頷くと、背後の灰色のキャビネットからお札の束を出してきた。お札の代金は、全部で数万円したが、ケンジさんは一瞬の躊躇もなく支払った。
 神社の次には銀行へ行った。5年半分の通帳の記帳をしたところで、残額を見て気を失いそうになった。大家がこれから余計に払った分の家賃を返金してくれるとはいえ、あまりにも少ない。時間が飛んだことに気付いたときよりもケンジさんのショックは大きかった。
 

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