小説

『彼女のcoffee time』山下みゆき(『浦島太郎』)

 ポケットから、彼女が支払いに使った小銭を出して眺めた。平成と刻まれた本物の硬貨だが、10円玉には緑青が出ており、100円玉は白くなって傷がたくさんついている。店に来るために、彼女が海の中で探したのだろうか。
「年老いることもなく、消え去ることもなく、時を超えて存在し続けるというのはどんな気がするもんだろう」
 酔いをさましつつ、暗い夜道を歩いて店の前まで戻ると、夜の海が見えた。
 静かな夜で、波の音も聞こえた。
 ケンジさんは、暗い海をしばらく黙って見ていた。
 それから、店に入ると、店の中に張っていた、魔除けの札を全て剥がして、捨てた。

 それから、7年の歳月が流れた。
 ケンジさんは、よく風邪をひくようになってしまった。一度ひくと、酷い咳が続いてしばらく起きあがれない。
 秋の深まった頃だ。店のドアが薄く開き、ラジオがまたおかしな音をたてた。
 見ると、入口にあの女が立っていた。ドアはまだ閉まっていない。
「やはり、ご迷惑ですよね」
「いえいえ、大歓迎ですよ!」
 ケンジさんが微笑んでそう答えると、女は初めて顔を上げた。
「私が人に会うと、どうしても影響を与えてしまうので、よくないことは分かっているのですが、それでも、寂しい時があって……」
「ええ、私にもそれだけは、よく分かります」
 女を中に招き入れると、ケンジさんは、目を細めて外の景色を見た。それから、ドアをそっと閉じた。
「今日は、思い切って、たくさん聴いて帰られませんか」
 にっこり微笑んでそう言うと、埃の積もった棚からどっさりとレコードを取りだした。
 

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