小説

『彼女のcoffee time』山下みゆき(『浦島太郎』)

 店の駐車場に生えた背の高い草を精出して抜き、店が再び営業していることをアピールするために、国道からの入り口にある看板に「リニューアルオープン!」と付け足してみたが、ケンジさんが以前のように営業することは難しかった。
 客が入ってくるたびに、「ひっ」とか「ひゃあ」と、叫んで飛び上がってしまうのだ。
 ドアの周りに、魔除けの札を大量に張っていたから、せっかく入ってきた客にも気味悪がられた。
 夜は、相変わらず店の中に布団を敷き、レジや、テーブルを見上げながら寝た。朝は、店の狭い手洗いで顔を洗い、髭の手入れをした。
 疲労が溜まっていた。身体が重く、鏡を見ると、以前よりも確実に老けてみえた。溜まった疲労をさっぴいても、急に老化したように見える。ちょうど、5年半分くらいである。
 しばらく渋い顔で鏡を見つめていたケンジさんだが、エプロンを脱いで店の鍵を閉めると、直したばかりの自転車に乗って、市の図書館に出かけた。
 カウンターに、見覚えのある若い女の子がいた。春野と書かれた名札を首から下げている。
「あ、マスター!」
 春野の声には、連日の心労を吹き飛ばすような明るい響きがあり、ケンジさんの顔に久しぶりに笑顔が戻った。
「私のこと、分かります? よくお店に行ってたんですよ」
「うん、うちでよく司書免許の勉強してたよね。よかったねえ、就職もできたんだ」
 春野は「はい、おかげさまで」と、健康的な白い歯を見せて笑った。
「でも、5年前だったかなあ、急に、お店がなくなっちゃったから、びっくりして。どうしてらしたんですか」
「あー、そのことなんだけど……、浦島太郎伝説の本ってあるかな。浦島太郎が、実際には何年間、龍宮に行っていたのか、そして、戻ってきたとき、どれだけの時間が過ぎていたのか詳しく知りたいんだ」
「子ども用の本ではなくて、本格的なのがいいですね」
 検索画面の立ちあがったパソコンを素早く操作しながら、春野が、「まさか、龍宮城に行かれてたんですか?」と笑うので、ケンジさんも、「そうそう、ちょっと乙姫に会ったりね、ハハハ」と力なく応じた。どっと疲労が増した。
 

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