小説

『かぐや姫へ、愛を込めて』メガネ(『かぐや姫』)

 次の朝、自室のドアを開けると、何かが部屋の前に置いてあった。昨日賢治に投げつけた鞄と、張り付けるタイプのメモ紙だ。
『コピー取りました。教科書返しておきますね。一足先に行ってきます。学校忙しくて大変だけど、頑張ってね。』
 大柄に似合わない小さな字が、行儀よく並んでいた。美月は文字が見えないよう折り畳み、部屋に戻ってゴミ箱の前に立つ。一瞬だけ考えたあと、何となく机の隅にそれを投げた。
 今日もまた、広々としたテーブルでひとりきりの朝食を摂る。母に行ってきますと言って、美月は学校に向かった。友達と喋っている間だけが、心安らぐひと時だと感じる。今まではあの家に帰るのが大好きだったのに、どうしてだろう。分かっている答えを伏せたまま、彼女はまた帰路についた。
「……ただいま」
 聞かれないよう、口の中で小さく呟く。そのせいか、今日は賢治の出迎えがなかった。ほっとしながら靴を脱ぎ、そして気付く。
 ――あの人の靴がない?
 ドアのガラス窓越しにそっとキッチンを見るが、やはり誰の姿もない。美月は妙にホッとして、ゆったりと二階に向かった。昨日とは対照的な気分でベッドに身を投げ、目を閉じる。そのままいつの間にか、彼女はうとうとと眠った。
『――!』
 二時間ほど経っただろうか、その眠りを覚ましたのは母の声だった。
 即、ただ事ではないと直感する。気が強い人とはいえ、二階にまで届くヒステリックな声を上げるなんて、いつもにはないことだ。美月は自らの早鐘を聞きながら、恐る恐る自室のドアを開ける。少しクリアになった母の声が、またしても感情的に叫んだ。つま先立ちでリビングに向かいながら、彼女は前にもこんなことがあったのを思い出す。
 ――お父さんの浮気がバレたときだ。
 胃がきゅうっと痛むのを感じた。リビングのドアノブに置いた手が、微かに震える。
「やっぱり疾しいことがあるんでしょ!」
 あのときと同じセリフを、母は繰り返していた。
「ちっ違うよ、僕は誓って紗江さんだけを――」
「じゃあなんでよ!」
「本当にごめん、もう遅く帰らないから、ごはんも今すぐ作るから」
 わざとらしい大きなため息が、母の口から洩れる。
 

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