小説

『かぐや姫へ、愛を込めて』メガネ(『かぐや姫』)

 次の朝、美月は階段を下りながら、やけにダイニングテーブルが広々としているのに気づいた。
「……お母さん、あの人は?」
「おはよう。賢治さんね、急にダイエットとか言いだしちゃって。朝食のフルーツヨーグルトだけ食べて会社に行ったわよ」
「もう?」
「バスをやめて歩くみたい。他にも変なこと言ってたし、なんで急に……あんた、なんか言った?」
「知らない」
 久々に、美月は広々としたテーブルで朝食を食べた。パンを一口かじったあと、スプーンでぐるぐるとヨーグルトを混ぜる。浮いたり沈んだりする果実を眺めながら、あまり口に運ぶ気になれずにいた。
 美月の言葉にならないもやもやは、帰宅したころにはイライラに代わっていた。その半分は、数学教師の出した半端ではない量の宿題のせいでもある。遊ぶ時間をどう捻出しようか考えながら帰宅すると、いつも通り賢治が出迎えた。
「おかえり、美月ちゃん!」
 無視しようと思っていた彼女が、思わずその姿を見て言葉を漏らす。
「……何、それ……」
 昨日はポロシャツに女物のエプロンだった賢治が、紺と白のボーダーシャツに金のカフリンクスを留めている。三角巾は黒で、同色のギャルソンエプロンまで着けていた。
「会社帰りに買って来たんだ。店員さんに頼んだら、これを着ると格好良くなるって教えてくれてさ。これで、美月ちゃんのお友達のお父さんに、ちょっとは近づけたかなあ」
 目をきらきらさせて話す姿は、美月よりも小さな子供みたいだ。悪意や嗜虐心に出会う前の、無駄にまっすぐで純粋な目。かつて彼女も持っていたそれは、浮気を重ねた実父にあっけなく捨てさせられてしまったけれど。
 

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