その不思議な体験を、私は〈幻影団地〉というタイトルの記事にまとめ、出版社に送った。だが、あの体験をそのまま記事にしてしまったことを、私は後悔していた。やはり、あのことは自分だけの楽しみにしておくべきだった。
それから数日後、私は、どうしても、またあの団地に行きたくなった。あれが現実でないということは判っている。しかし私は、またあそこへ行って、懐かしい私の家族に会いたくなった。きっと、団地も私を待っているにちがいない。寂しくて仕方がない、と、私が行くのを待っているのだ。私は、団地に呼び寄せられるように出かけていった。
その夜、再び団地へ行ってみて、私は気づいた。私だけではないのだ。私と同じような人間が、夜な夜なこの団地に集まってきているのだ。
月の光に照らされた人々の顔には、目も鼻も口もなかった。喜怒哀楽の感情を忘れ、その表情すら無くしてしまった孤独な人間たちが、男も女も、あのころの自分や家族に会うために、誰もがみんな、あのころの温もりを求めてやってくるのだ。
ああ、いるいる。あっちの部屋でも、こっちの部屋でも、じっとドアの前で中の様子を窺いながら、灯りがつくのを待っているじゃないか。
さあ、私もまた、3号棟の202号室に行こう。あのころの父や、母や、妹といっしょに、楽しい時間を過ごすために。