その日の晩、坂本は寝床でこれまでのことを反芻した。
「あの頭に現れたものは病気なのではなく、個性の一部だったのではないか?」
そう思い始めた彼女の目にあの大きな帽子が写った。するとしばらくして彼女の脳裏にこれまで頭の上に現れた様々なものが次々と浮かんできた。そのどれもに彼女はいとおしさを感じた。そして、それが二度と現れることはないのだと気づいた。
彼女の瞳は涙で満ちあふれた。
翌朝、坂本は聞こえてくるクラシック音楽で目を覚ました。
「もしかして・・」
坂本は急いで洗面台へと向かい、鏡を見た。
彼女の頭の上ではクラシックコンサートが開かれ、オーケストラがベートーヴェンの「第九、歓喜の歌」を演奏していた。
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その後、坂本の頭の上には以前にも増して様々なものが現れるようになった。
以前とは違い、彼女はそれを楽しむようになった。例えば料理教室が出てきたら料理を習う。歌舞伎座が出てきたら沢海(そうみ)とともに弁当片手に鑑賞するといった具合にである。
しかし一方でまた別の不満が起こりつつあった。
彼女の頭の上に現れるものは常に彼女が楽しめるものとは限らない。例えば、彼女にとっては興味のないサッカーの試合であったり、難解な物理学の講義であったり、アイドルグループのコンサートであったりする。そうなると自然と彼女の周りに人集りができ、集まった人たちがそれを満喫するのだ。自分の頭にできたものなのに楽しむのは赤の他人ということに彼女は苛立ちを覚えるようになった。