小説

『私の頭の上の話』坂本和佳(『鼻』芥川龍之介/古典落語『頭山』)


 念願の普段通りの生活を手に入れた坂本は、それから数日快適な日々を過ごした。
 しかし、日が経つにつれて、彼女の心にある変化が起き始めた。
 頭に何かが現れた時、彼女の周囲は常に華やかだった。頭の上ではにぎやかな出来事が起き、それを目当てに人が集まり、時には彼女に話しかけてもくれた。しかし、それがなくなってしまうと周囲は静寂に包まれ、加えて周囲の人々も坂本に注目しなくなった。当初はありがたく思えた静寂に彼女は孤独と寂しさを感じるようになり、心は徐々にうつ気味に変わっていった。


 その状況にたまりかね、坂本は籾井の元を訪れた。籾井(もみい)は以前の時と違い、大きな帽子をかぶっていた。坂本は自分の心境を淡々と述べた。坂本の話を聞き終わった籾井は口を開いた。
「ところで坂本さん。芥川龍之介の『鼻』という小説はご存知ですか?」
「『鼻』ですか。あっ、知ってますよ。鼻の大きなお坊さんの話でしょ。」
「そうです。その鼻の大きな僧侶ですが、初めは食事をとるのも一苦労で自分の大きな鼻が煩わしいとさえ感じていた。しかし、鼻が小さくなってしまって人並みになってしまったら、その煩わしさは逆に愛おしさになってしまった。これは非常に非合理的に見えて合理的なんですよ」
 坂本は籾井をじっと見つめた。
「といいますと?」
「つまりそれはですね。たとえ煩わしいものであっても自分の体にできたものは自分の所有物。それを失うというのは自分自身の一部を失うということでもあるんです。」
と言って、籾井は帽子を取った。すると彼の頭の上にはゴルフ場が出来ていた。その姿に坂本は仰天した。
「私もまた頭にゴルフ場ができたんですよ。完治したあと、寂しい気分に陥ってましたから、なんかこう安心しましてね。この頭に出来たものも何かの縁、自分の個性だと思って受け入れるようにしたんですよ」
 

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