小説

『もうひとつのアリとキリギリス』小倉正司(『アリとキリギリス』)

「つらそうだったって・・・しょうがないだろう、それがこいつの仕事なんだから」
 アリの上司はまたアリをにらみつけて言いました。アリはうつむいて上司の顔を見ようとしません。
「でもそれはあなたがたが勝手に決めたことで、アリさんが望んだことではないんじゃないですか」
「働きアリが食べものを運ぶのは当たり前のことだろう。なにがいけないんだ。こいつはよろこんで食べものを運んでいるんだ。それ以外にこいつに望みなんてないんだ」
「望みがないですって!なんであなたにそんなことがわかるんですか。それは本人にしかわからないことじゃないですか」
 キリギリスは気色ばんで言い返しました。
「こいつに望みがあるっていうのか・・・あるとすれば女王様と巣に貢献できることだけだよな、そうだろう」
 そう言ってアリの上司はアリのほうに顔を向けました。
 アリはうつむいたまま小さな声で答えました。
「そのとおりです」
「アリさん、本当かい。それがきみの本当の気持なのかい」
 キリギリスはアリに問いかけましたがアリは答えません。そのアリの代わりにアリの上司が言いました。
「そうだとも、それがこいつの望みだ。ちゃんと女王様と巣に忠誠を誓い勤勉に働いていれば、その見返りとして巣がお前を守ってくれる。おれたちの言うことを聞いて余計なことを考えずに働いていれば、なんにも心配することはないんだぞ。巣は決してお前を身捨てたりしない」
アリの上司はアリを見ながら得意げに言いました。
「でもそれって・・」
 キリギリスが言いかけた時、アリがそれをさえぎるように言いました。
「上司の言うとおりです。わたしは巣に貢献することしか望みはありません。巣に貢献して食べものを運ぶことがわたしのよろこびです。キリギリスさん、もうこれ以上わたしに話しかけないでください」
 そう言ってアリは大きな食べものを再び担いで、巣に向かって歩き出しました。
それを見たアリの上司は、「それでいいんだ。俺たちの言うことを聞いていれば何にも問題はないんだ」とうれしそうに言い、アリと一緒に歩いて行きました。
 キリギリスは去っていくアリの姿を悲しそうな目で見つめていました。

 その年の夏は暑さが厳しかったせいか、秋になってもアリの巣では例年に比べて十分な食べものが確保できませんでした。さらに夏の暑さの反動からか、冬は一段と厳しい寒さでした。大雪が降って大地を覆い、川や湖はもちろんのこと、木や地面も凍りついてしまうほどでした。
 やがて厳しかった冬も過ぎて待ちに待った春になると、一面を覆っていた雪も溶けて、地面から青々とした木々の芽が顔をのぞかせました。それにつられて虫たちも地面の穴からはい出てきました。例のアリの巣からも多くのアリが勢いよく飛び出して、あちらこちらを忙しく動き回っています。そしてあのキリギリスも自分の穴からでてきたのでした。
 

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