小説

『もうひとつのアリとキリギリス』小倉正司(『アリとキリギリス』)

 それを聞いていたアリは不思議そうにたずねました。
「じゃあどうやって食べるものを得るんですか。そんなにバイオリンばかり弾いていたなら食べ物を集める暇なんてないじゃないですか」
「食べ物はぼくのバイオリンを聞いた虫さんたちがくれるんだ」
「バイオリンを聞いた虫たちがくれるんですか」
 アリは驚いたように言いました。
「そうさ。みんなぼくのバイオリンのきれいな音色を聞いて気持ちよくなって、その気持ちよくなったお礼に食べ物を分けてくれるのさ」
「気持ちよくなったお礼に?」
「そう。自分が得意なことでみんなによろこんでもらう、するとみんながそのお礼に食べ物をくれる。そうするとぼくもうれしくなって、やっててよかったと心から幸せに感じるんだ。そうすると、もっともっとみんなを気持ちよくさせたいと思って、もっともっとバイオリンがうまく弾けるようになれればと思って一生懸命練習するのさ。誰かに命令されることもない、好きでやっていることだから何時間練習しても苦にならないし、辛いと感じたことは一度もないんだ」
 キリギリスは満面の笑みを浮かべて言いました。
 アリは身じろぎもせずそんなキリギリスを見つめています。そんなアリを見てキリギリスは尋ねました。
「アリさん、アリさんはいまの仕事に満足しているのかい。やってて幸せだと感じるの」
「さっきも言ったように、わたしの上司が・・」
「きみの上司のことを聞いてるんじゃないんだ。きみ自身がどう感じているかを聞いているんだ」
キリギリスはアリの言葉をさえぎって言いました。
「わたしの気持ち・・・そんなものは考えたこともありません。わたしの気持ちなんかはたいした問題じゃないんです」
「問題は大ありさ。アリさん、アリさんの命は誰のものなの。そしてアリさんの人生は誰のものなの」
「・・・」
「いいかいよくお聞きよ、アリさん。きみの言うとおり、女王様や巣に忠誠をつくすのもいいけれど、まずは自分のいつわりのない気持ちを確かめたほうがいいんじゃないの。いまのやっていることが楽しいのならそれでもいいけれど、もし楽しく感じられないのであれば、たぶんそれはきみにとってやるべき仕事じゃないんだよ。楽しくないということは、これは自分がやる仕事じゃないって自分の心が語りかけているんだよ」
「自分の心が?」
「そう、自分の心さ。ぼくを見てごらんよ。まったく辛そうでも、苦しそうでもないだろう。それは自分の心がやりたいって思うことに忠実に従っているからなんだ。自分がやりたくもないことを強制されたら、たぶんいやでいやで死にたくなっちゃうよ」
「・・・」
 

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