小説

『虫の家』荒井始(『変身』フランツ・カフカ)

「ようおいで下さいました。おつかれでしょう」
 俺達を出迎えた老人は覇気のない声で言うと媚びへつらうような笑みを浮かべた。そして俺達を部屋に案内して荷物を下ろさせると、すぐさまダイニングに連れて行った。
「食事の準備はできておりますので」
 食卓につくと他の二人は無遠慮に部屋の中を見回した。俺もそれに倣う。
 取り立てて何もない部屋だ。そしてどことなく薄暗い。部屋の中央に吊るされたオレンジ色の裸電球は闇とのコントラストを強調するばかりで一層雰囲気を陰鬱にさせていた。
 ふと鼻腔を香ばしい香りがくすぐった。思い出したように空腹感がきゅるきゅると音を立てた。同時に喉がきゅっと締め付けられたような気がした。水が飲みたい。
 俺は催促の意味も込めてどすんと卓を叩いた。すると思いのほか老人が驚いた様子でキッチンに向かって何事か急き立てた。俺はなんだか申し訳ない気になった。
 しばらくして老人の奥方らしい年老いた女が一人、肉の塊の乗った皿を持って奥からやって来た。それに続いて若い娘が一人山盛りのジャガイモの乗った皿を抱えてやって来た。それを見たギョロ目の男が口角を吊り上げて目を細めたのが不快だった。
 他の二人ががちゃがちゃと音を立てながら料理を啄ばむ中、俺は脇に置かれたコップを掴むと一息に中の水を飲み干した。
 甘く濃厚な旨味が広がり、俺は生きる喜びを感じた。冷たい感触が喉から食道をゆっくりと降りていく。張り付いた不快な土埃と苦いわだかまりを全て洗い流すように。
 喉を鳴らして飲み干すと、俺は若い娘に水のおかわりを催促した。そしてその合間に俄かに空腹を訴え出した胃袋に特大の肉の塊を噛み千切り、送り込んでやる。
 食事を終えて人心地付くと、三人揃って煙草に火をつける。オレンジの照明の下で紫煙が生き物のように揺らめいている。
 老人と髭男は親しそうに昔の犯罪自慢に花を咲かせている。ギョロ目の男は、空になった皿を片しながら忙しなく行き来する娘にちょっかいを掛けては下品な笑い声を上げた。部屋の奥からは女房が皿を洗う水音が聞こえて来る。
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11