小説

『役所のおうさま』原豊子(『裸の王様』)

「俺がこうやって来てるんだぞ! なんだその態度は!」
 怒号とともにテーブルをたたく破裂音が、区役所のフロアに鳴り響いた。ぱっと集まる視線、真正面に座っている職員の怯えきった顔―……決まった。
「他の職員だったら俺が来ただけでへりくだって『本日はどのようなご用件で』って、言うよ? それをあんたはふてぶてしい!」
 少々の手のしびれを悟られまいと、なおも女性職員相手にまくしたてる。
 菅内康夫、五十五歳。ライフワークは区役所で働く公務員を鍛えなおすことだ。もう五年以上はここに通って、人としての礼儀を知らない職員を、叱り飛ばしている。
 きっかけは、ささいなことだった。当時、頭の悪い親類縁者から言動を理解されず、すむ場所を失った俺は、安く借りられると評判の市営住宅に入ろうと、役所に相談に行った。が、そこで対応してきた職員は、ニコリともせずにいきなり年齢を聞いてきたのだ。むかっ腹を抑えて答えると、次は障害を持っているかとぶっきらぼうに問う。さすがに、頭にきた。
「あなたは俺が障害者に見えるのか!」
 怒鳴るつもりはなかった。ただ、感情のままに口を開くと、腹の底から声が出た。途端、先ほどまでのふてぶてしさからは一転して、顔をこわばらせた職員は小さく息をのむ。よく見ると、三十ぐらいの女だ。年下の、しかも女がコケにしくさって―……その顔を見れば見るほど、腹が立ってきて、俺は感情のままにまくしたてた。「だいたいのっけから人の年齢を聞くのも失礼だ!」「それが困っている奴に対応する人の態度か!」「これだから公務員は」……途中、流石他の職員が止めに入ったが、その存在を無視し続け、見事市営住宅の入居手続きをその日のうちに済ませたのである。女職員は泣きながら己の非礼をわびた。
 この後から、頻繁に手続きのために役所に通うようになった俺は、他の窓口に行くたびに同じような態度をとる職員を、怒鳴りつけるようになったのである。一度叱ってやった奴は、次からは少しピリッとした表情で丁寧に対応してくれるようになった。だが、中には中々わからないやつもいるし、役所は意外に職員の入れ替わりが激しい。だから、継続して何年間もこうやって足を運んでやっているわけである。
「まあまあまあまあ、菅内様、斉藤も悪気があっていったわけではなくてですね」
 蒼白な顔のまま固まっている女職員の横合いから、いつもの四十ぐらいの男性職員がわざとらしい笑みを浮かべて入ってきた。
「教育が足りないんじゃないの? 何この人、日本人?」
「誠に申し訳ありません」
「ねえ、この役所で俺の顔知らない人なんていないよ? 聞いてる?」
「本当に私の教育不足で」
「いやいや、あなたとは話してないの。俺、この人と話してるの」
「ははあ、申し訳ございません、ですが……」
「申し訳……ございませんでした」
 固まっていた女はそのままの姿勢でつぶやくように言って、ぎこちなく頭を下げた。フン、謝るくらいなら初めから丁寧に接すればいいものを。公務員という資格にふんぞり返っているからいけないのだ。

 

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