小説

『役所のおうさま』原豊子(『裸の王様』)

バーンッ! 机をたたく破裂音。決まった。志藤が目を見開く。右手に、痺れが走った。
「何度も言ってるのに! 日本語がわからないのか!? お前日本人じゃないんだろ!」
 ここまでして、俺に言い返す気根のある奴なんて、いやしない。そしてここまでしないと自分の無礼がわからないほど、公務員ってのは馬鹿ばかりなのだ。志藤も例にもれず、黙ってしまった。よし、ここから追いつめて、その薄い頭をこちらに下げさせてやる―……そう思い、口を開きかけた、その時。
「うえええーん」
 水を打ったように静かになったフロアに、一筋、赤ん坊の声が響き渡った。横に座っている子連れの小さい方だ。いいぞ、怖がれ。そしてこんな礼儀を欠いた大人になるな。俺の姿が正しいんだ。お前たちは誰の税金で生活していると思っているんだ。俺たち市民が出してやってるのだから、俺たちの方が偉いはずだ。本来ならば、市民をいたわるべき市の職員が、物に対するような対応をする。礼儀を欠いてるくせに堂々と、その上金を搾り取ろうとする。こんな事、間違っている。公務員という立場に胡坐をかいて、自分を偉いと勘違いして、市民を見くだしている奴らに、存分に思い知らせてやらねばならない―……。
「なあ、日本人じゃないんだろって! だから俺の言ってること、分からないんだろ!
 バン、バン、バン、と三回また机を強打する。目の前の視線がふら、とうろつき、やがて下を向いた。こらしめてやる、もっとこらしめてやる。
 と、その時である。
「ねえ、お姉ちゃん」
 張りつめた空気に似合わない、とぼけた子供の声が耳に飛び込んできた。ふと目の端で確認すると、五歳くらいの男の子がこちらをじっと見上げていた。
「どうして、このおじちゃん、怒ってるの?」
 男の子は首を傾げると、その後ろでうわーんと鳴き声があがる。母親が咄嗟に男の子の体を引き寄せようとした、その時。
「それはね」
 特別優しい響きを持った、やわらかな声が響いた。八代さん。思わず視線を彼女に向けると、いつものにっこりと笑った表情で、男の子に視線をあわせ、
「このおじちゃんが、裸の王様だからだよ」
と言った。裸の王様? 突然現れた単語に、頭が追い付かない。すると八代さんはそのまま俺に視線を合わせ、
「この区役所の、裸の王様」
と穏やかに笑う。
 失礼なことを言われているのだけはわかった。けれどもなんと怒ってよいのか、ついぞ腹の内から言葉は飛び出てこなかった。

 

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