小説

『寝太郎と私』平井玉(『三年寝太郎』)

「じゃあ、帰るね」
 と言うと、もう一枚現れ「マンションが危なかったら、うちに泊まってください」と書いてあった。少し温かい気分になったが、なるべく寝太郎に頼るまい、と心に決めた。親が買ってくれたマンションは耐震構造は万全で、相変わらず寒い以外、問題はなかった。両親はもう亡くなっているし、兄は家庭があって私より立派な家に住んでいる。メールくらいはしたが、誰かを心配する必要は全くなかった。地震の翌日の土曜日は天気がよく、妙に穏やかな週末だった。日曜日には、意味なく銀座に行ってみた。デパートは夕方で早々に閉まるとのことだったが、街は全く平和に見えて、悲劇はテレビの中にだけあるようだった。ただ、コンビニやスーパーの棚だけがすかすかだった。銀座でちょっといいお弁当を手に入れたのを言い訳に、寝太郎の家に行ってみた。寝太郎がこの事態をどう思っているのか聞いてみたかった。キッチンに座って、弁当を食べながら、語り合っても仕方のないことをぐだぐだと会話する様子を想像しながら歩いた。家に入ってすぐ、誰もいないことが分かった。三年近く顔を見たことも無い寝太郎だったが、その気配はいつも濃厚にあったのに。主を失った家は、渡り鳥が捨てて行った巣のようだった。ダイニングテーブルの上にメモがあり、「何ができるかわかりませんが、被災地の手伝いに行ってきます」とだけ書いてあった。
 それから一年半、私は相変わらずキオスクで働いている。一週間に一、二度は寝太郎の家に行き、ポストに投げ入れられたチラシを整理し、窓を開けて空気を入れ替え、軽く掃除をし、たまに布団を干した。思えば奴の携帯電話の番号も、メールアドレスも知らないので、どこで何をしているのか全く分からなかった。被災地で活躍するボランティアを紹介する番組はなるべく見たが、寝太郎の姿は見かけなかった。
「本家ほどの活躍はしてないな」
 独り言で言ってみる。昔話のねたろうは、三年間ただ寝ていたのではない。村をよくするために策を練っていたのである。ある日むっくり起き上がると田畑に灌漑を整備し、村の発展に大きく貢献するのだ。私の寝太郎は三年近く、いったい何を考えていたのだろう。
 ようやく暑さが収まってきた秋の初めに寝太郎は戻ってきた。最初に気付いたのは、ダイニングテーブルに仙台名物萩の月がメモ付きで置いてあったからだ。裸足で音を殺して二階に上がると、窓とドアを開け放して、寝太郎が自分のベッドで死んだように寝ていた。思えば数年ぶりのリアル寝太郎だった。そっと近づいて見たが、なんだか知らない人のように見えた。まだまだ寝ていそうだったので、一番近いスーパーで買い物し、文化鍋でご飯を炊き、油揚げと大根の味噌汁を作った。冷蔵庫の電源を入れ、萩の月と、買ってきた牛乳と鯵のたたきを冷やした。寝太郎のメモに返事を書いていた時、本人がゆっくりと階段を下りてきた。痩せて陽に焼けたせいか、最後に見た時より若返っているようだった。当たり前のように座って、食事を全てをたいらげた。牛乳を飲みながら萩の月を食べ終わるまで、野生動物を観察しているように息をひそめて見守った。特に会話はせず、ただメモを渡した。寝太郎のメモには「家のことありがとう。おみやげ食べてください。ところでよかったらしてみませんか。

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