小説

『寝太郎と私』平井玉(『三年寝太郎』)

 ひきこもりの面倒は普通親が見るものだが、寝太郎はもうほぼ天涯孤独のようであった。いわばお手伝いさん的な仕事のオファーで、毎月二十万振り込むから、そこから買い物して、残りは貰ってくれていいという。
「キオスクの仕事の帰りだけでいいですから。うち、駅からそんなに遠くないし、一日分千円くらいで済むと思うし」
 微笑んでいた寝太郎母の遺影を思い出すと、胸が痛んだ。お母さん、亡くなっていてよかったね。いや、生きていたら寝太郎もこんなことを言い出さないのか。
「しばらくって、どれくらい?」
 寝太郎は考え込んだが、答えは「わかりません」とのことだった。
「お金は結構あるんです。家は持家だし、遺産も、今までの貯金も。だからしばらくは大丈夫かなあと」
「あのさ、全くの赤の他人にそんな話して大丈夫なの」
 自分が保険金殺人を何回も起こした性悪妻のように報道される姿が頭に浮かんだ。純朴な男を騙して金をむしり取り殺害する女。大して美人じゃないのに、とまで言われる様子が目に浮かぶ。寝太郎は答える前に初めて微笑んだ。
「キオスクさんは大丈夫だと思って」
「なんで」
「なんか、動きに無駄が無いのに感心して。悪事とか面倒なことはしなさそうで」
 その発言の内容より、寝太郎が私のことを「キオスクさん」として認識していることがおかしかった。
 「うっそり」と名付けた青年を「寝太郎」と呼び始めたのは、奇妙なお世話生活が始まってからのことだ。寝太郎の家は築三十年の一戸建てで、高度経済成長期を懐かしく思い出させる応接間(ほぼ死語)や最近リフォームしたらしいきれいなダイニングキッチン、客が泊まれる和室などが一階にあった。二階は三つ寝室があったが、そこには基本入らなかった。初めは手探りだった生活も、一月も経てば自然にルールのようなものができてくる。キオスクの帰りに食べ物や飲み物を買い、レジ袋を二階の寝太郎の部屋のドアノブにかけておく。その後は自分もお昼を食べる。ささやかながら庭もあって、嬉しいことに縁側がある。天気のいい時は縁側で足をぶらぶらさせながら食べた。トイレや洗面設備は二階にもあるから、寝太郎は決して降りてこない。全く気配が無いときもあるが、食事を受け取ったりトイレに行ったりしていることがわかる日もある。ある日二階に上がると、ドアに「トイレットペーパーを買ってきてください。ダブルで、できればでこぼこみたいなやつ」とメモがあった。もちろん買ってきてあげる。でこぼことは、ワッフル地的なものだろうと予想された。食事にはうるさくないがトイレットペーパーにはうるさい男である。

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