小説

『寝太郎と私』平井玉(『三年寝太郎』)

 これが寝太郎の謝罪の最上級なのだろうか。ジェネレーションかねえ、などと思ったが、寝太郎はいい雇用主だ。「今後ごみはレジ袋に入れて廊下に出すように。部屋の衛生状況が怖い。掃除をさせて欲しい。定期的に部屋を変えてくれ」というメモを返した。大きく反省したらしく、次の日には父親の寝室(ご両親はいつからか寝室を分けていたようだ)に移っていた。元の部屋にはホテルのように「掃除してください」の札がかかっていた。私は家事の中では掃除が一番好きである。半日かけて掃除した。空気を入れ替え、掛布団を干し、ファブリーズをふんだんに使い、シーツを掛け替えるとやっと人間らしい気分になった。一息ついて、ふと見ると寝太郎がリアルな存在であることがわかるものがそこかしこにあった。小学校一年生の時から使っているような学習机には、シールをはがそうとして失敗した跡が無残に残っていた。どうやら一時期キン肉マンのシールを貼ることに異常な執着が芽生えていたようだ。あとはベッドと本棚、押し入れを改装したクローゼット。本棚の中身は経済の勉強で使った教科書らしきもの、英語の参考書がほとんど。小説類は海外の翻訳ものが多く、ざっとみたところ遭難した人のサバイバルについての本(南極探検家シャクルトンの記録、ヨットの遭難で唯一人生還した人の本など)、飢餓状態の中で生き抜く人たちの話(第二次世界大戦中包囲され食糧が無くなったレニングラードを舞台とした小説や、室町時代の飢饉についてのドキュメンタリーなど)がほとんどだった。DVDのコレクションも偏っていて、地球が滅亡しそうな災害に見舞われるか、圧倒的な武力で征服しに来た宇宙人と戦う話ばかり。この分野にこれほどの作品があるということに感心した。会社員だった時の寝太郎は、深夜にナイススティックをかじりながら、ある時は人肉を食らうような極限状態について読んだり、ブルース・ウィリスが地球の滅亡を救う映画を見たりしていたのだろうか。寝太郎の心の砂漠のようなものを考えながらシーツを洗濯しようと洗面所に行くと、風呂が使われた形跡が明確に残っていた。二か月たって、初めて風呂に入ったらしい。「千と千尋の神隠し」の一場面を思い出させる汚れっぷりで、寝太郎の心のダークサイドなどどうでもよくなった。母親は、寝太郎に家事をしつける気はなかったようだ。自分が世話をして、その後はしっかりした嫁に「はい」と申し送る予定だったのだろう。まあ、高収入を得る能力を持っていたのだから嫁や子供を食わせる甲斐性はあったわけで、母親の戦略は間違っていない。予想外だったのは自分がいなくなってから寝太郎の反抗期だか思春期だかが来てしまったことだったろうか。洗濯もしてあげようかと提案したが、「大丈夫です」という答えだった。クローゼットの中身とゴミ袋から透けて見えるものから推察するに、安い下着、ジャージを大量に買い、同じものをずーっと着て、耐えられないほど汚れたら捨てる、という方法をとっているようだ。たたんだシーツを片付けに行くと、クローゼットの隅に使い込んだ山用の大きなザックが置かれていた。片隅でくたくたと置かれたザックは寝太郎の青春の化石のようだった。よく見るとプラケースに食器やコンロや寝袋などの山グッズがきちんとしまわれている。全く興味は無いが、その機能性には感心した。

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