小説

『寝太郎と私』平井玉(『三年寝太郎』)

 いつのまにか寝太郎のかすかな気配とともに暮らすことが当たり前になっていった。寒くなると縁側で食事をするのはつらくなった。かわりに日当たりのいいキッチンで、寝太郎のDVDを見ながらご飯を食べた。映画の中で、あるときは隕石衝突で起きる巨大津波、あるときは地球温暖化からの爆弾低気圧を迎え撃つ人々は、あくまであきらめず大切なものを守ろうとするのだった。宇宙人侵略ものは笑えることが多かった。アメリカ海兵隊は、どうやら宇宙人にも勝つらしい。多分気合で。遭難系の映画もたまにあって、トム・ハンクスが無人島に漂着した映画も見た。残された荷物の中にバレーボールがあり、それに顔を描いたものが唯一の友となる。ボールが流され、失われるシーンでは不覚にも涙が出た。ふと、寝太郎のことを思った。寝太郎には、ボールはあるのだろうか。それとも寝太郎が私のボールなのか。
 寝太郎の世話をして二年が過ぎた時、このままこの生活がずっと続くのかどうか考えて夜寝られなくなった。寝太郎の部屋のドアを打ち破り、肩を揺さぶって目を覚まさせるべきなんじゃないかと真剣に考えた。昔話だって「三年ねたろう」なんだから、三年は待つべきだろうかとか、寝太郎が私を選んだのは、「ちゃんとしろ」的なことを言わなさそうだからだろうとか考え、もう少し様子を見ようと思った。寝太郎からの振り込みは、掃除や料理を始めてから三十万円にアップしている。いつかは、寝太郎の貯金も減るだろう。MBAまで持ってるんだから、ここまで減ったらやばい、という判断は下せるはずだ。あまり深く考えず、単調だが静かな生活をただ積み上げていこうと思った。時々「お、風呂に入ったな」「げ、髭剃った?こんなに伸びてた!」などの痕跡が残っていた。神経質な小動物を研究している学者のような気分だった。寝太郎の将来の事さえ考えなければ、私にとってはいい生活だった。奴が生きている気配がある限り、私も大丈夫だ、という気がした。そんな単調で穏やかな生活の中で、私たちは大きな地震の日を迎えた。
 その時私は寝太郎の家にいて、司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んでいたところだった。経験したことのない揺れは築三十年の家をギシギシ揺らしたが、リフォームして作り付けの棚になっていたキッチンは大事なく、ただ電話の横に置いてあった鉛筆立てが落ちただけだった。揺れが収まってから、二階に上がった。寝太郎の部屋からは、テレビの音が聞こえてきた。しばらく待ってから、思い切ってノックしてみた。
「大丈夫?生きてる?」
 大分間があって、ドアの下からメモが現れた。「大丈夫です。キオスクさんも家の様子を見に行った方がいいですよ」という文面を見た時、なんだかやけに心もとない気分になった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9