小説

『文左衛門の告発』伊丹秦ノ助(『文鳥』『吾輩は猫である』 夏目漱石』)

「いやあ相変わらずこの書斎は静かですな、静かすぎていけません。先生、今度腕の立つ建築家を紹介してあげますよ」
下品なにやにや笑いを浮かべてこう言うのは三重吉です。すると漱石は、
「いや、三重吉、お前の紹介にはこれで懲りたよ。お前はいつも妙な物ばかり持ち込むね」
これじゃあまるで三重吉が悪いみたいじゃありませんか。この時ばかりは小生も三重吉に同情しました。ね、漱石って嫌な男でしょう。自分の方が世間的に見れば異端者であるのに、常に周りを批判してばかりいる。世の中にこんな偏屈な奴はまたといません。え、豊隆ですか、良いことを聞いてくれましたね。豊隆はその間小生に向かってべろべろばあをしておりました。その時小生は確信したんです、本当に立派なのは漱石でも三重吉でもなく、この豊隆であると。
 小生は三重吉と豊隆に連れられて夏目邸を出ました。振り返ると、夕暮れを背景にして夏目邸とその屋根の上で身体を起こしている、猫のシルエットが浮かび上がっておりました。猫は顔こそ見えないものの、何だか夏目家を象徴しているかのようにぴんと背筋を伸ばしておりました。猫は段々遠くなって、そして見えなくなりました。
 それからおよそ一年が経った或る日のこと、小生は偶然にも琥珀君に再開したのです。琥珀君は雑誌の「ホトトギス」をまた例の如く何処からかくすねてきて、熱心に読んでおりました。
「やあ、文左衛門じゃあないか。久方ぶりだなあ、一体何処へ行っていたんだい」
小生は漱石の家にいたことを彼に話して遣ろうか戸惑いましたが、結局言わないで置くことにしました。何といっても夢は高く持ったほうが良いですからね。彼が漱石をその澄んだ漆黒の目で見、幻滅するまでは、小生は黙っておくことに決めました。あ、皆さん、この小生の告発はくれぐれもご内密にお願いしますよ。じゃないと琥珀君、血反吐が出るまで囀りまくって死んでしまいますから、きっと。いいえ、まだ終わっていませんよ。この話にはおちがあるんです。今回小生が告発するに至った、一番の理由とも言えましょう。
 琥珀君は読んでいた「ホトトギス」を小生に見せてくれました。
「いつか君に紹介したことがあるね、夏目漱石という大作家の話だが」
「ふむ、そんなことがあったかな」
ちょうどその時小生は水差から水を飲んでおりました。小生がとぼけてみせると、琥珀君は嘴で誌面をとんとんと叩いて見せながら、
「彼がまた小説を発表したよ。少々短めなのだがね、驚いたことにそれが『文鳥』というタイトルなのさ」
いやあ、あの時は思わず水を噴いてしまいました。琥珀君は何だか嬉しそうなんです。これはきっと漱石から僕に対して送られた影のメッセージだとか、そんな馬鹿なことを盛んにほざいておりました。

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