小説

『文左衛門の告発』伊丹秦ノ助(『文鳥』『吾輩は猫である』 夏目漱石』)

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 今から小生がここに告発いたしますのは、夏目漱石という男の知られざる実態で御座います。え、小生の名前ですか、文左衛門と申します。はい、それじゃ始めさせていただきます。

 夏目漱石という男は、表向きは孤高の小説家なんか気取っておりますが、実はたいそう器の小さい、ちんちくりんな奴なのであります。書き物の方面においては確かな、いやこの際傑出したと言うべきでしょうか、とにかく天才的な腕を持っているのですけれども、一方でその人格、道徳観となるとこれがもう破綻寸前といったところで御座いまして、あれでよく沢山の弟子に恵まれたものだと小生にはつくづく不思議に思えてなりません。
 小生が初めてあの男と出会ったのは、明治四十年の初冬の晩のことであります。
「先生っ、文鳥で御座いますよう」
こんな誰かの威勢の良い声で目を覚ますと、小生はいつの間にか鳥籠に入れられて、見知らぬ家を訪ねておりました。そこは何だか薄暗い伽藍のような簡素な部屋で、机上に広げられた原稿用紙や壁際にずらりと並んだ高額そうな洋書の数々から察するに、研究者か何かの書斎であろうと思われました。それできょろきょろ辺りを見回しますと、小生の右隣と後ろに、それぞれ一人ずつ青年が控えて暗がりの或る一点をこうじっと眺めておりました。よくよく目を凝らしてみれば暗がりの奥に、如何にも神経質そうな顔をして口髭を生やした男が鹿爪らしく火鉢にもたれて座っておりましたから、ハハアこれが小生の新しい主人だなと思いましてね。勿論その時は彼が誰だか知る由もありませんでしたが、そう、彼こそがかの有名な夏目漱石でありました。
「三重吉かね」
漱石は言いました。なかなか渋味のある声だったのを今でも覚えております。はい、とまるで子供のように元気のいい挨拶をしたのは右隣の青年、これもあとで知ったことですが鈴木三重吉と言う作家だそうで、のっぺりした顔に下品なにやにや笑いを浮かべておりました(先程小生の安眠を妨げたのも彼の声で間違いありません)。漱石は俄かに色めきだったかと思うと、興奮した様子で文鳥かいと聞きました。三重吉はまあ御覧なさいと言って、後ろで遠慮がちに座っている青年、こちらは小宮豊隆というやはり作家だそうですが、その彼に向かって偉そうに、
「豊隆その洋燈をもっとこっちへ出せ、ほら、遅いぞ」
などと叱りました。けれどもその鼻の頭が霜焼けて紅くなった頬とは対照的に、気味の悪い紫色を帯びているので、いささか間抜けに見えました。三重吉は豊隆の手から洋燈をもぎ取ると、小生の鳥籠をその灯りで照らしました。その中に小生がいるとはつゆ知らず、これはこれは立派な籠だとしきりに感心する漱石の横で、三重吉は依然としてにやにや笑いながら台は漆塗りですとか格子は竹を削って色を付けたものですとか、見ればわかることを説明するのに忙しそうでありました。
「それでたったの三円ですからね。好いのにすると二十円もするそうですから、安いなあ豊隆」
豊隆はもとから主張の少ない男なのか、それとも単に三重吉に反発するのも面倒だと思っていただけなのか定かでは御座いませんが、とにかく鸚鵡返しにうん安い安いと同調するばかりでありました。また漱石は漱石で口髭の先端をいじりながら、あからさまに当惑顔でまあ安いなあなどと下手な芝居を打っておりました。何ともちぐはぐな三人組でしたね。思い出すだけで笑ってしまいますよ、まったく。

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