小説

『桃太郎の真実』広都悠里(『桃太郎』)

「何を考えているんです。鬼に見つかってしまいます」
「それでいいのだ」
 犬はさっきよりももっと困ってすごい早さでぐるぐる回った。あきらめきった猿は寝転んだままぴくりとも動かない。
「なんだ、なんだ」
 大きなものがのそりと動いて近づいてきた。その姿をいちはやく見た雉はくえ、と声をあげかけたまま止まってしまった。
 ゆらりと近づいてきた鬼は桃太郎の二倍ほどの大きさで、潮と太陽の光にさらされたせいか、ざらりとした赤銅色の肌をしていた。見つめられるとうつむくか目をそらすしかないような盃ほどのぎょろりとした丸い目を持ち、額の上から頭頂部にかけては鈍い黄色の堅そうなこぶのようなもので覆われていた。
「船で流されてしまいました。どうか、お助け下さい」
 悲しそうな声で桃太郎が叫ぶと、猿が小声で「ち、どいつもこいつもとんだ嘘つき野郎だよ」とつぶいやいた。
 そうするうちにも船は波にのり、砂浜に立つ鬼の方へと進んでいった。
「どおどおどお」
 船の先をつかんで鬼は片手で船を止めると「ほう、人間か」と大きな目をすいと細めて、桃太郎の頭のてっぺんから足の先までさあっと見た。桃太郎は何も感じない人のようにただ見られていた。
「おまえ、わしが怖くないのか。がたがたふるえたり、ぎゃあと叫んで転げ落ちたりしないのか」
「どうしておびえたりするでしょう。あなたがたは心の優しい、静かな暮らしを好む方々だと聞いておりますよ」
 桃太郎は太い眉を下げ、形の良い唇に微笑みを浮かべて鬼を見た。
「うそだ、うそだ」
 うめく猿の口を犬がしっぽで叩いた。
「黙れ」
「ほんのしばらくの間、休ませていただけませんか。水と食べ物をいただければありがたいのですが」
「鬼相手にずうずうしいな。たいしたもんだ」
 雉もくちばしをかちかち鳴らした。
「あきれるやら、感心するやらだ」
「よかろう。お連れの方がたも大変お疲れのご様子。うちに来て休むがいい」
「ありがとうございます」
 桃太郎は船を下りた。続いて犬が、雉は自分で飛んで、近くの木に止まった。
「鬼のいうことなんか信用できるもんか。おいらは行かないよ。ここにいる」
 猿は寝転んだまま動かなかった。
「それではお前は船の番でもしていろ」
 猿はそっぽをむいたまま「ふん、おいら少し休んだらとっととひとりで帰るからな」と、指で脇腹を掻きながらうそぶいた。
「犬も雉もだまされやすいやつらだな。まだ騙され足りないとみえる」
 それでもしばらくは落ち着かない様子で猿はしばらく桃太郎たちの去った方向を眺めていたが、桃太郎たちの姿が見えなくなると船に寝転び、今度は本当に眠ってしまった。
 目が覚めるとあたりは真っ暗だった。
「うわあ、ずいぶん寝ちまったな。おーい、雉」
 闇に向かって叫んでみたが、返ってくるのは波の音と、風に揺れる木の葉のざわめきだけだった。
 ざわざわちゃぷちゃぷ、音が揺れれば心も揺れる。猿はどうしたらいいかわからなくなり、顔や頭をかきむしった。
「ああ、どうしようどうしよう。きっとみんな殺されてしまったんだ。だとしたらおいらもここにいちゃいけないな」
 けれど真っ暗な海に向かって、船を漕ぎだす勇気は猿にはなかった。
「そうだ。とりあえず何か食おう。このまま海に出たらおいら、飢えて死んじまうよ。どこかに木の実でもないかな」
 猿はあたりの様子をうかがいながら砂浜へおりると、すぐに一番近くにあった木にとびつき、するする登った。木から木へと移り進んでいくうちに明かりのついた大きな家が見えてきた。大勢が集まっているらしく笑い声や手を叩く音がさかんに聞こえる。
「ずいぶんにぎやかだ。ひょっとして桃太郎たちを殺して祝賀会でも開いているんじゃあるまいな」
 猿は木から屋根へ飛び移り、窓のすき間から中を覗いた。
「桃太郎、無事だったか」
 四角い顔を赤くして笑っている桃太郎とその横で満足そうに横になっている犬を見て、猿はほっとした。
「おやおや、あんなにご馳走が並んでいるぞ。みんな楽しそうだ。しかし鬼がこんなにたくさん集まって笑っている姿はなんだかぞっとするなあ」
 猿は小さく身を震わせた。
「桃太郎、おまえの話は面白いなあ。もっと話をしてくれ」
 海岸で会った鬼が笑いながら言った。
「そうですね。もうあらかた話してしまいましたから、今度は私の身の上話でもしましょうか」
 酔っ払っているのか、桃太郎の目は見たこともないほど赤くぎらぎらしていた。形良い桃色のくちびるから出る言葉はどこまでが嘘でどこまでが真実かわかったものではないと思いながら猿も耳を澄ませた。
 桃太郎はくりっとした大きな目を伏せると大きな息をひとつ吐いた。
「私は桃から生まれました」
 鬼たちは顔を見合わせ、次の瞬間に笑い出した。
「なんと、桃から!」
「桃太郎とはいえ、桃から生まれるとは、なかなか思いつかない冗談だ」
「いいえ、それが本当なんです。おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたそうです。家へ持ち帰り、食べようと切ってみると中には赤ん坊が入っていたのです。おばあさんとおじいさんはその男の子を桃太郎と名付け、育てました。それがこの私なのです」
「いやいや、まさか、桃太郎、その話を信じているのではあるまいな」
 鬼たちはにやにやくすくすくす笑った。
「もちろんです。桃の中に人間の赤ん坊が入っているわけがありません」
「なんだよ、信じてなかったのかよ」
 猿は目を三回もぱちぱちさせた。

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