小説

『桃太郎の真実』広都悠里(『桃太郎』)

 夜の海は静かだ。時折響く「ごお」という地響きは船のへりで手足を伸ばしている桃太郎から発せられているものである。
「何も知らんということは幸せだな」
「おいらたちがきびだんご一つで家来になったと本気で信じているとしたら、桃太郎は本物の馬鹿だな」
 猿は顔をしかめた。
 雉が翼を広げ、首を伸ばした。
「風が変わるぞ。追い風になった。舟を漕げ」
「はいはい」
 猿はぎっこんぎっこん船を漕ぎ出した。
「ああもう、うんざりだ。さっさとお役御免になりたいもんだな」
 犬もうつむいた。
「鬼ヶ島へ、鬼退治か」
 みんなはぐうぐう寝ている桃太郎を見た。
「しかし、本当に知らんのか」
 猿がひそひそと言う。
「知らないんじゃないか?」
 犬も答える。
「今頃、鬼は皆殺しになっているだろうな」
「そのあとに乗り込んで手柄だけもらうなんて、ずいぶんバチあたりな計画じゃねえか。そんなことを考えつくじいさんとばあさんは何者なんだ?」
「知らないのか」
 猿がふり返る。
「おいおい、手を止めるなよ」
「人使いが荒いな。全く」
「人ではない。猿だろう」
「いちいちうるせえな」
 猿が睨むと犬は知らん顔してそっぽを向いた。
「おじいさんとおばあさんは本当は高貴なご身分らしいぞ。わけあって山の中、人目を避けて暮らしているらしい。桃太郎を使って下剋上を狙っているのさ」
 雉がくちばしをカツカツ鳴らしながら言う。
「下剋上?」
「元の身分に返り咲きってことさ」
 雉は伸ばした首をひっこめた。
「人の世というものはよくわからんな。わかりたくもないが」
 猿は吐き捨てるように言った。
 明るくなってきた空に向かって雉が首を突き上げた。
「島が見える」
「ああ、おいら寒くなってきた」
 猿が毛を逆立てた。
「上陸したら、きっとあたりは血みどろだぜ」
「ぞっとするね」
 犬もしっぽを丸めた。
「オレの白い毛が血で汚れると思うとぶるぶるしてくるな」
「さて、そういう話なら本当にうまくいっているかどうか、見てくる必要があるな」
 雉が羽を広げた。
「全く、お前は役に立つよ」
 犬が雉を見上げた。
「誰を仲間に入れるかも、計画のうちだったんだろう」
「じゃあ、おいらたちが命を救われたのも、計画的だったってこと?」
 雉と犬と猿は顔を見合わせた。

 ざん、と波に船が揺れ、冷たいしぶきがかかった。
「今は、鬼退治のことだけ考えよう」
 猿は雉に早く行け、手で追い払うような仕草をした。雉はぶるるると羽を震わせ犬と猿と桃太郎に水を飛ばしてから羽ばたいた。
「ち、雉のやつ、わざとだぜ」
 犬はうなった。
「おいらたち、結局だまされていたのか。山の中でひっそり暮らしているお人よしで気の毒なお年寄りだと思っていたが、見当違いだったみたいだぜ」
「人間というのは面倒臭いな。飯が食えて眠るところがあればそれでいいじゃないか」
「毛皮を持っていないせいじゃないか?だからいろいろな模様のたくさんの着物がいるのだ。体はひとつなのになぜたくさん着物を持っていないと気が済まないのかオレにはわからないが。オレは自分の白い毛に十分満足しているぞ」
「じいさんやばあさんは、着物をたくさん持っているのか?」
「いや。持っていないから欲しいんだろう。昔はたくさん持っていたらしい。それを取り返したいんじゃないのかな」
「鬼退治をしないと返してもらえないのか。ずいぶんすごい着物だな」
「だが、いっしょに鬼退治に行ってくれと言われた時は驚いたね」
「最初は断っただろう?」
「もちろん、断ったさ。いくら世話になっているからって殺されに行くようなものだからな。そしたらおばあさんが心配することはないと笑った」
「おいらの時と同じだ。ばあさんは何も心配することはない、もう鬼は殺してあるから、って言ったんだろう?」
「それを聞いた時、なぜかわからないが、ぞうっとしたな」
 犬はぶるると体を震わせた。
「おいらはなあんだ、そういうことなら行くよ、って言っちゃったんだ」
「単純なやつはいいな」
 ふ、と犬は鼻を鳴らした。
「やはりおまえは好かん。どうしてもかちんとくることを言わないと気が済まないらしい。きっと育ちが悪いんだろう」
「何だと、この山猿め」
 犬はうなり声をあげた。
「ここらでひとつ、どちらが上か勝負をするべきだな」
「望むところだ」

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