小説

『桃太郎の真実』広都悠里(『桃太郎』)

 猿は黄色い歯をむきだして、きいきいわめいた。
「なんだ、騒がしいな」
 桃太郎が目をこすりながらむくりと起き上がった。
「すみません。起こしてしまいましたね」
 すかさず犬がしっぽをふって駆け寄った。
「いや、もう朝だ。起きないと。あれ、雉はどうした」
「島の様子を見に行ったぜ」
 猿は背中を丸めて手をすり合わせた。
「あそこに見える島が鬼ヶ島なのか。思ったより早く着いたな」
「おいら、一晩中船を漕いでいたからな。おかげで腕が痛えのなんの。こんな腕で鬼と戦えますかね」
「ふん、わざとらしい」
 犬は鼻の上に皺を寄せた。
「ところで、お前たち、鬼に会ったことはあるか」
 桃太郎の問いに犬と猿は顔を見合わせた。
「鬼を見たこともないのに、鬼と会ってそれが鬼とわかるだろうか。お前たちは鬼と会ったことがあるか?」
「ありませんよ」
 色白の四角い顔に大きな目、小さく膨らんだ鼻、形のよい薄桃色のくちびるをした幼さの残る顔の中、太い眉が困ったように下がった。
「それでは鬼がどんなものなのかさっぱりわからないではないか」
「あの、頭にツノがあるって話ですぜ」
「ツノ?鹿や牛についている、あのツノか?」
「いや、鹿や牛のツノとはちょっと違うんじゃないですかね」
「どういうふうに違うのだ?」
「いや、どういうふうにかは……」
「見たこともないものを退治するなんて無理な話だとは思わないか?」
「なら、どうして出発する前にそう言わなかったんです?」
 犬は呆れた。
「旗だの刀だの、鉢巻まで用意されておじいさんとおばあさんにきびだんごの弁当まで持たされてにこにこと送り出されたんだ。鬼退治などできませんとは言えないだろう」
「鬼など、見れば鬼だとわかりますよ」
 なだめるように犬は言った。
「今まで見たことのない、ツノのある生き物が鬼です。そう思っておけば間違いないでしょう」
「馬鹿馬鹿しい、やってられるか」
 猿は目をきょろんとさせて下あごをつき出した。
「そんな顔をするな」
 犬が歯をむいた。
「なんだかお前たち、仲が悪いな」
 桃太郎は犬と猿を見た。
「へっ。今頃気付いたんですか」
「こら」
 猿はぺろりと舌を出し、わざとらしく犬に背を向けた。
「それにしても、雉のやつ遅いな」
 波がきらきら光り、海が黒から藍色へと変わる。うっすら紫に見えていた島も、木や砂浜が見えるようになってきた。
「ひょっとして逃げたのでは」
 犬と猿は何度も空を見上げ、目をこらした。
「心配するな。逃げる気ならもうとうに逃げているさ」
 桃太郎は呑気に口笛など吹いている。
 ばささ、待ち焦がれた羽の音がして雉がきゅいーんと降りてきた。
「島の様子は?」
 犬が立ち上がった。
「それがどうも話が違う」
 雉は顔を赤くした。
「話が違うとは?」
「誰かが鬼をやっつけに来た様子はなさそうだ。みんなぴんしゃんしているぞ」
「きーっ。やはりだまされたんだ。義理も何もあるものか。さっさと帰ろう」
 猿は飛び上がって頭をかきむしった。犬は困って自分のしっぽを追いかけくるくる回った。
「おいおい、一体どうしたのだ」
「はあ、島には鬼がうようよしております。はっきりとした数はわかりませんが、十、いや二十はいると思われます」
「そんなに!」
 猿は飛び上がって真っ赤な顔でわめいた。
「オレたちだけで二十もの鬼にかなうでしょうか?」
 犬はしっぽをだらりと下げて、上目づかいで桃太郎を見た。
「おまえたち、まさか、本気で鬼と戦うつもりだったのか?最初からかなうわけがないだろう」
 桃太郎が笑い、雉も犬も猿もぽかんとした。
「どういうことだ?」
「何がなんだかさっぱりわからん」
「もう、おいら、知らないもんね」
 ついに猿はどてりと船に横たわった。
「さてさて、それではそろそろまいるか。おまえたち、余計なことを言ったりするなよ」
 桃太郎は着ていた陣羽織を脱ぎ、おばあさんにしめてもらった鉢巻をほどき、粗末な着物一枚になった。刀もやりも布団代わりに積んだ藁の中に隠してしまうと、髪をくしゃくしゃにして「さあ、可哀想な人の出来上がりだ」とうすく笑った。
「ああ、どうやら桃太郎は本当に馬鹿になってしまったようだ」
 犬がつぶやいた。雉すっかりわけがわからなくなってしまい、顔を赤くしたり青くしたりしながら、きょときょとと首をひねっていた。
「おじいさんもおばあさんも得体がしれないし、桃太郎も様子が変だ。これから先、オレは誰を主とすればいいのだろう」
 犬は目をしょぼつかせて、ちんまりと座った。
「どこからどう見ても、しょぼくれたご一行様だな」
 桃太郎はよしよしと頷くと、島に向かって両手をふりあげた。
「おおーい、だれかいるかあ、助けてくれえ」
 びっくりして犬は飛び上がり、桃太郎の着物の裾を引っ張った。

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