小説

『虫と男と、』宮沢早紀(『蜘蛛の恩返し』(青森県))

 吾妻デザイン事務所の中で一番下っ端、かつ黒一点の僕の仕事は「雑務」だ。打ち合わせのセッティングや資料集め、資料のスキャン、電話応対、手土産や備品の購入、掃除、力仕事全般。先ほど行なった事務所に迷い込んだ虫への対応もここに含まれる。これまでクモ、ガ、ハエ、ハチ、その他名前の分からぬ様々な虫たちを生きたまま外の世界へ帰してやった。
事務所に入ってきた虫を外に出してやるたびに職場の人たちは僕を称えるが、何度称えられても、家来のような飼い犬のような、ゆるキャラのような僕の位置づけというのは変わらないのだった。
学生時代も社会人になってからも「浦ちゃん」と呼ばれるのは、はじめは愛されキャラに認定されたような喜びがあったし、飲み会なんかがあると「結婚するなら絶対、浦ちゃんみたいなやさしい人がいい」と口を揃えて言ってくれるのだが、そんな風に言う人の中で結婚の前段階である交際に発展した人は一人としていなかった。
結婚相手には適していても彼氏に適していなければ、お見合い結婚なんて絶滅危惧種みたいな今の時代に結婚するのは、難しいと思う
彼氏に適していない原因が浦長瀬太郎という僕の名前にあるのか、一五九センチという背の低さにあるのか、小規模なデザイン事務所の下っ端で世の男たちよりも給料が低い点にあるのか、果たして分からなかったが、どの要素もそれなりに影響を及ぼしているであろうことは、なんとなく理解していた。

 昔から女友達は多い方だったが、友達以上の関係に発展する人はおらず、だったら全く知らない人と最初から付き合うことを前提に知り合えばいいのだと一年くらい前に勇気を出してマッチングアプリをインストールした。
基本的な情報を正直に入力し、カメラが上手な友達に撮ってもらった、いい感じのプロフィール写真も用意したが、登録から交際はおろかデートに発展した人は誰一人としていなかった。こういう場所では積極性が大事だと思ってちょっとでも可能性を感じた人に「いいね」を送っているのだが、何のリアクションももらえずに今に至る。
「街コンに行ったらいいのに」
 手っ取り早く性格の合う合わないが見極められるし、同じ地域に住んでいる人が集まるからその後も会いやすいとサークルの同期女子たちから力説され、近場で開催される街コンを調べたこともあった。
 様々なテーマの街コンがあったが、男性は身長一六二センチ以上」という参加条件が掲げられているものがあり、背が高い男の需要があるというのは想像できたが、わずか三センチ足りないだけで参加が認められないという事実に衝撃を受けた。
 百歩譲って一六〇センチを下回る僕は仕方がないにしても、運営側や参加する女性たちが一六〇センチと一六二センチの違いに気づくことができるかは疑問だった。
この一件以来、僕は「街コン不信」に陥り、結局、街コンには参加しなかった。

 忙しかった仕事が落ち着き、久しぶりにマッチングアプリにログインしたところ、メッセージが届いていることに気づく。
「はじめまして、鈴菜と申します◎ 東都美知展って行きました? 現代アートが好きとプロフィールにあったので……もしよかったらメッセージでやりとりしませんか?」
 初めてのメッセージに僕は浮足立った。

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