小説

『花に嵐のたとえもあるが』川瀬えいみ(『海女と大あわび』(千葉県御宿町))

 なに照れ臭そうに言ってるの。
「海に行ったまま、もう帰ってこないんじゃないかと、私はずっと不安だったのに」
 そう告げる私の声はかすれてる。
「なんで?」
 彼は不思議そうな目で、私の顔を覗き込み、尋ねてきた。
「帰る岸がなかったら、沖に出ようなんて考えないよ。大人になったら特に。確かに、子どもの頃は、海に出ることばかり考えていたように思うけど、それは春花に会う前のことだから」
 うわ。なに、その気恥ずかしい屁理屈。君が呑気に釣りがてら指輪を探していた間、私がどんな気持ちで一人の時を耐えてたと思うの。
 ああ、でも、悔しいけど、私は笑って許すしかない。
 私は、桜の花の指輪を、左手の薬指に嵌めた。
 そして、思ったの。

 あの伝説の海女の恋人の漁師だって、そうだったのかもしれない――って。
 漁師が漁に出るのは生きる糧を得るため。同時に、恋人の許に帰るため。
 海女は、自分も海を相手に働いてるんだから、彼の気持ちを理解するのは、そんなに難しいことじゃなかったはず。なのに、会いたくて会いたくて、一時も離れていられなくて、恋以外のすべてが見えなくなって、彼女は、一直線に迷走する嵐になってしまった――。

 私と彼が、あの物語の二人のように不幸な結末を迎えずに済んだのは、私が彼女のような激情家じゃないから――じゃない。
 私は、たまたま幸運だっただけ。たまたま私が臨界点を超える直前に、彼が桜の花の指輪を見付け出してくれただけ。

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