小説

『花田の桜』立田かなこ(『花咲かじいさん』)

 定年退職するまで、花田は仕事一筋だった。家庭を顧みず仕事に明け暮れたので、娘には愛想を尽かされて連絡も取っていない。孫が居るのか居ないのか。それすら花田には分からなかった。
 しかし、それでも妻はそんな彼についてきてくれた。穏やかな良き妻だった。
 癌で亡くなるその時まで、花田の支えとなってくれた。
 なのに、頑固だった花田は、彼女が「犬が飼いたい」と散々言っても、世話はできるのか。寿命まで面倒は見られるのか。そもそも自分は動物が嫌いだ。そう言って反対し続けた。
 妻が生きている内に、彼女の最初で最後のワガママに折れなかった。それは未だに花田の心のしこりとなっているようで、段ボールの中で震えていた子犬を見つけたその日、彼の脳裏に妻の顔が浮かぶのが早いか、気がついたら家で子犬にタオルを巻いていた。
 つまらない人生。これまでの花田なら、確実にそう言っていただろう。
 だが今は、満ち足りた顔で桜の根元をペロと共に掘っている。
 そこに鶏糞と腐葉土を混ぜて発酵させたものを敷き詰め、上から更に先程起こした土をかぶせる。
 この肥料も知恵も、近所で畑をやっている人が譲ってくれたモノだ。
 余った肥料を手押し車に載せようとしたその時。
 グキッ。
 嫌な音と共に強烈な痛みが花田の腰を襲う。彼は思わず声にならない声で絶叫し、倒れ込む。
 元々腰の悪かった花田だが、加齢と、重いモノを持ったのも災いしたのだろう。完全にイってしまったようだ。
 這ってでも一度家に戻ろう。そう思ったが、痛みで動くことが出来ない。
 心配そうにペロが頬を舐めたが、彼はふと顔を上げると、庭を飛び出しって行った。
 ああ、おしまいだ……。ペロを求めて伸ばした手が地面に落ちたとき、ペロの吠える声が聞こえた。
「おじいさん、大丈夫ですか!?」
 声に驚き顔を上げると、四人の少年達が駆け寄っていた。
「こ……腰が……」
 花田が弱々しく言うと、一番長身の少年が頷いた。
「栄二、お前の父さん医者だったよな、スマホ貸すから電話して。修太と冬樹は俺と一緒におじいさんを縁側に運ぼう。二人で足持って」
 少年はテキパキと役割分担を決めると、栄二と呼ばれた少年にスマートフォンを貸し、花田を仰向けになるように転がす。
「いくぞ、いち、に、さん! 」

1 2 3 4 5