信濃の国の飯縄山(いいづなやま)は、善光寺平(ぜんこうじだいら)を見下ろす北の空に高く大きくそびえ立っていました。
ある日、飯縄は後ろにひかえる山々に呼びかけました。
「おーい、戸隠(とがくし)どん、黒姫(くろひめ)どん。今日は犀川、千曲川がきらきらと輝いて見えるなあ。原っぱじゃ人間の子供たちが飛び回り、沼では河童が遊んどる」
飯縄の後ろにいる戸隠も黒姫も、飯縄が大きすぎて善光寺平を見ることができません。戸隠が、しょんぼりした声でこたえます。
「おらには、なーんも見えねえだ。飯縄どんの背中しか見えねえだ」
黒姫は不満そうな声で言います。
「飯縄どんよ、少ししゃがんで、おらほにも善光寺平を見せてくれんか」
「善光寺平はおらが守っとる。戸隠どんも黒姫どんも、なーんも心配することはねえぞ」
戸隠も黒姫も「おらだって、善光寺平を守ってる」と思いましたが、飯縄の大きな背中を前に、何も言えませんでした。
秋になり、里の人間たちが収穫物を納めに飯縄にやってきました。
「無事にすごせるのは飯縄様のおかげです」
人間たちは口々に飯縄を褒め称えます。
「なんの、なんの。善光寺平を隅から隅まで知っているのは、おらだけだから」
飯縄は上機嫌です。人間たちが帰り支度をはじめると名残惜しそうに引き止めました。
「もう帰るのか、まだいいだろう」
「戸隠様、黒姫様にも参りますので」
「あんな役立たずのところへ行かんでいい」
飯縄は不機嫌になって言います。怒って炎を出されては大変と、人間たちは必死にとりなし、結局、戸隠、黒姫には行かず、飯縄で長い時間を過ごしました。