僕はそっと彼女の首元に触れた。脈はある。よく見ると、彼女は小さく息をしていて、その呼吸に合わせて胸が微かに上下に動いていた。僕は彼女の首元から手を離し、
「すみません、聞こえますか?」
と訊いた。返事はない。彼女は眠っているのだろうか、それとも気を失っているのだろうか。そもそも、何故こんな場所で倒れているのだろう。彼女が身につけている着物は、僕が知っている現代の日本人の着物とは比べ物にならないほど大掛かりなもので、何着も着込んでいるようだった。これがいわゆる十二単というものなのだろうか。この着物を着て歩くとなると、地面に裾を引き摺らせるような格好になるだろう。また、彼女は異様に髪が長かった。間違いなく、僕が今まで出会った人間の中で一番の長さだ。艶のある黒髪で、よく手入れしているようだったが、これほど髪が長くて日常生活に支障はないのだろうか。
そんな絢爛豪華な装いの彼女は、この寂れた郊外の住宅地にはあまりに不釣り合いで、その姿は魅力的ではあるものの、いかにも怪しくて不可解な存在だった。そのため、僕は彼女が誤って全く別の場所からワープしてきたのではないかとさえ訝った。彼女からは相変わらず何の反応もない。
僕は彼女の肩に手を添えて振動を加え、彼女の顔の近くで声をかけた。
「聞こえますか? 大丈夫ですか?」
すると、彼女の閉ざされた瞼がピクリと動いた。それに希望を見出し、僕はさらに声をかける。
「大丈夫ですか?」
そのとき、彼女が反応した。瞼が開き始め瞳が少しずつ見えてきて、赤い口紅が差された唇から言葉にならない声が漏れ出る。僕は安堵して深く息を吐き、自分が無意識に身体を強張らせていたことを知った。
「よかった……ここがどこかわかります?」
と僕は訊いた。彼女は起き上がり、覚束ない眼で周りを見渡して、
「わかりません……」
と言った。
「わからない? ……じゃあ、どうやってここまで来たんです?」
彼女の表情に困惑の色が深まる。
「それもわかりません……この場所も、あなたも、私の知っているものとは全く違っています」
「そりゃあ、そうですよ。だって僕とあなたは初めて会ったんですから。……でも、この場所も、ですか?」
「はい。……何だか、私の知っている世界ではありません」
「世界?」
その言葉に違和感があった。
「はい。こんなに高い建物を見たのは初めてです」