小説

『アカマツの下で』茶飲み蛙(『つらしくらし』(岡山県))

少し闇に慣れてきた目が山肌から伸びる木の輪郭をとらえる。曲がりくねった幹から突き出した枝に、強い陽光を受けるに適すとは思えない、尖った葉が疎らに生えている。近くの幹に目を凝らせば赤茶でがさがさとした木肌も見える。「アカマツだ…」と気付く。同窓会の席でつい吐いてしまった嘘と張り続けた虚勢を見抜いているかのような目線を向けてきたアカマツ。
後方から乗用車の低いエンジン音が迫ってきたことで我に返った。轢かれないように慌てて道の端へ寄る。端へ寄ったことで道の先が見えた。何のことはない、かつて一時期よく通った三叉路だった。暗い思考に陥っていた自分を苦々しく思いつつ歩き始める。すぐに追い越していった乗用車のヘッドライトの明かりをなんとなく目で追っていると、一瞬、三叉路上の標識が照らされ、息を呑んだ。直進に「くらし」、左折に「つらし」と読み取れた。

標識は相当に古い物らしく、所々に赤褐色の錆が見られた。上京するまでの20年余り通ってきた道のはずだが、こんな標識には見覚えがない。
が、そんな奇妙な標識以上に目につくのは標識が示す道の先である。この2つの道の先には、ただ一縷の光もない、完全な暗闇が広がっているのだ。元々この一帯は人通りが少ないが、曲がりなりにも住宅街である。数メートルおきに街灯が設置されているし、家々から零れる光もあったはずだ。しかし、「つらし」「くらし」の先には一切の光がない。まるで、道の先にブラックホールがあり、光という光を飲み込んでしまったかのようである。
強烈な違和感に、思わず後ろを振り向いた。そして、直ぐに周囲の異変に気付く。
先ほど通過した車はもう遠くへ行ったのだろう、テールランプの光も見えず、エンジンの音も聞こえない。それだけではない、先ほど歩いてきたはずの道が、跡形もなく消えていた。
心臓が早鐘を打つ。息が乱れて呼吸にならない。自らの心音を聞きながら、自分の将来が眼前に示されているように感じられた。岡山に帰ってきた時は、他に進むことのできる道が残されていると信じていた。しかし、同窓会で己の口から流れ出た言葉は、自分の本質が変えようのない虚栄に満ちていることを、まざまざと思い出させた。自分は放逐され逃げ帰ってきた敗者であることを悟ってしまった。敗者が進む道など無いのだ。

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