小説

『アカマツの下で』茶飲み蛙(『つらしくらし』(岡山県))

初めは恥じらいもあった。自分の失敗など、好き好んで語りたくない。実際、誰にも言えなかった。
しかし、彼女の柔らかな物腰に促されると、つい言葉が口をつく。
「俺だって悪いとは思ってたよ。嘘なんてつきたくなかった。でも、あいつに正直に相談したって意味ないの分かってたし・・・。」
かつての同僚への悪口が止まらない。理解のない係長、部下にだけ異常に厳しい部長、
手のひらを反すように自分を避け始めた同期達。憎んだ相手は沢山いた。
そんな悪口も、涼香は黙って聞いていた。
かれこれ1時間ほど喋り、ようやく愚痴がやんだ。
そこで、涼香が口を開き、
「そう」
と一言発した。少し微笑みながら続ける。
「大変だったんだね。」
その言葉を聞いた瞬間、心に暖かなものが満ち溢れていくのを感じた。ここ数年無かった、けれども彼女が隣にいたときにはずっとあった感覚。
様々な感情が溢れ出し、思わず涙がこぼれる。
「ありがとう」
その一言が精一杯だった。

「でも、これからどうすればいいか分からないんだ・・。」
少し落ち着いてから、改めて自分の将来について不安を感じた。
次の就職先の見通しもなく退社したし、貯金は底をついた。何よりもう気力が無いのだ。
完全に詰んでいる。
「昔あのアカマツの下で、首をくくろうとした人がいたんだって。」
唐突な話題に思わず耳を傾ける。
「その人もね、つらし、くらしって書かれた道しるべをみて、行く先が何もないって思っちゃたんだけど。本当はその道しるべには「つらしま」と「くらしき」って書いてあったの。端っこがかすれて見えなくなってただけなんだって。」
聞いたことのない話だ。いや、そもそもの話、何故自分はこんな場所にいるのか。飲み会の帰り道ではなかったのか。
そんな疑念が浮かんだ途端、周囲の景色がぐにゃりと歪んだ。何だ、これは。
茫然としている間に、歪みが涼香を巻き込んでいく。
涼香は変わらぬ調子で話し続けるが、その声は遠のいていく。
「吉田君も何か見えなくなってしまっているだけかもしれないよ」
その言葉を最後に、彼女の姿は歪みと共に眼前から消失した。
そして、呼応するように、自分の意識が覚醒し始めた。思考の濁流が渦巻く中、浮かび上がる一つの記憶。
そういえば、涼香は朝練に向かう途中、信号無視の車に-。

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