小説

『美知しるべ』アズミハヤセ(『かさじぞう』)

「こんな海があるんですね。湖か川を見ているみたいだなあ」
 園長室の開け放たれた窓から見下ろす海は、どこまでも静かに輝いている。青い海に浮かぶ小さな緑の島々が、輪郭を得て、目を打つ程にくっきりと見えていた。
「僕は山育ちだから、海ってちょっと怖かったんですけど……」
 平らな海に白い筋雲のような波形を描いていく高速船を目で追いながら、沈黙を嫌ったように秋吉がそう続けた。
 秋吉と並んで立つ佳乃が話をつないだ。
「私はこの町で育ったのよ。ずーっとこの町。ほら、あそこに見えるでしょ、おもちゃみたいに小さなフェリー。毎日あれに乗って学校に通っていたの」
「いい景色ですよね。学園の子供たちも、みんなここが好きですよ」
 秋吉の言葉に園長の佳乃が小さなため息をついた。
「何とかなるものなら、何とかしたい。……でも、理想と現実なのかな。運営的には、もうね厳しいのよ。子供たちの行き先も探さなくては」
 そう言うと、佳乃は窓をそっと閉めた。かすかに聞こえていた生活音がぷつんと切れた。
「最後まで、諦めたくはないですけど……」秋吉は落ち込みそうになる気分を変える話題を探した。
「あ、そういえば、晴生を見かけましたよ」
「まあ、懐かしい。元気そうでした?」
「お地蔵さんの掃除をしてました。県道の道端に地蔵小屋があって、ゴミを拾ったり、お地蔵さんを拭いたり、草むしりをしたり」
「まあ」
 そう。久しぶりに見る晴生は地蔵の世話をしていた。
 最初にそれを目撃したのは、支援のお願いに行くために乗ったバスの窓からだった。
 坂道の多いこの町を歩き回るのは、思ったより体力がいる。秋吉は地図を片手に昔ながらの石段を登っていき、何軒かの家を訪ね、また下りていった。
「ああ、あの施設ね。何とかしてあげたいけどな。このご時世じゃねえ、こっちが食べていくのに精いっぱいで、申し訳ないけど」
 これまで支援をしてくれた地元の名士たちが皆歳を取り、代替わりを機会に支援から手を引いてしまう。毎年歯が抜けるように、支援者名簿から名前が消えていった。

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