小説

『マユミツキユミトシヲヘテ』香久山ゆみ(『竹取物語)』)

 
 この辺りの人間なら皆知っている。取憑かれたように月を射んとする老人に対してまことしやかに囁かれた御伽噺。けれど、私は聞くといつでもきゅっと切なくなるのだ。
 少年がこの物語を口にして実際に月に向かって矢を放ち始めたのは森が色付き始めてから。当然月には届かない。
 遠くの山から鹿の鳴く声が聞こえる。寂しい寂しいと鳴いている。少年が檀の木から削りだした弓が月光に映える。おじいさんから伝承された通りに作られた。白くしなやかな曲線が艶かしい。ああ、私もあの弓のように美しい体ならばよかったのに。ただぽてりとやわらかくて、最近とみに丸こくなってしまった。
 こんな私でもよかったら。あなたのものにしてくださって結構ですのに。いつでもそう念じて寄り添うのに、彼は知らんぷり。彼に捧げられなくたって、冬が来る頃にはどうせ知らない誰かに獲って食われる運命なのに。
 ねえ、だから、そんな夢物語なんかじゃなく、私を見て?
「私のご先祖もね、月から来たという言い伝えがあるのよ。そんな伝承なんてあちこちに……」
 すると彼はじっと私の目を見つめて、「そうか」と一言。
 次の満月の夜、彼は弓を持ってこなかった。代わりに、小さな手製の道具。新たに檀の木から作ったのだろう。甲虫の角のような形の枝の先に、弦の変わりに弾力性のある紐を通しその中央には皮製の当て布がされてある。あっ。思わず小さな悲鳴を上げる。それは小型の投石器だ、以前一度近所の悪童が私に向かって同じような道具で小石を投げつけてきたことがある。身を強張らせる私に気づきもせず、少年は懐からばらばらと弾を取り出す。団子虫が丸まったくらいの大きさの丸くて赤い弾が彼の掌に広がる。檀の実だ。晩秋で十分に熟している。彼はその中から一粒選んで私の顔の前にかざした。
「君の瞳にそっくりだろ」
 そう言って微笑むと、彼はその一粒を構え、十分に紐を引いてから、びゅうっと月へ向かって放った。

1 2 3