小説

『風に乗せて』小山ラム子(『てでっぽっぽ(岩手県)』)

 決定打になったのは、お店の隅に止めてあったわたしの自転車のかごに連絡先を書いたメモが入っているのを見たときだった。この自転車がわたしの物だと知るには、来るときに偶然見た場合か、終わるのを待ってどこかで見ていた場合だ。後者の場合だったら大分こわい。
 元々キャンパスが変わるから一年で、という話だったので店長達には何も言うことなく辞めたが、そうじゃなかったらわたしは店長達に悩みを打ち明けていただろうか。
『美晴って本当頼りになる』
 昔からそんな風に言われることが多く、弱音を吐ける相手はほとんどいなかった。
 高校生になってから出会った人。風太はまさにわたしの求めていた人だった。何を言っても受け止めてくれる優しい人。理不尽な目にあっても、つらいことがあっても、風太に話せば忘れることができた。
 いや、風太に話せば、ではない。風太にぶつければ、だ。
「今日はね、本の感想文書くことになってるの」
 愛菜ちゃんの声にハッとして、慌ててうつむいていた顔を上げる。
「へー、なんの本にするの?」
「なんかね、日本の昔話とか民話集めたやつ」
 愛菜ちゃんが図書袋からだしたのは、一冊の古そうな本だった。だけど字は大きくて読みやすいし、挿絵もふんだんにあって小学生でも読みやすそうだ。
「この中のどれかにしようかなって思ってて」
「色々な話が入ってるんだね。先生も見ていい?」
「うん!」
 ぱらぱらとページをめくり、その中の一つが目に止まった。
『てでっぽっぽ』という民話だ。
 昔、あまのじゃくな子どもがいた。父親が「山」といえば「川」に行き、「田」といえば「畑」に行って父親を困らせる。ある日、父親が病気になってしまうのだが、父親は「子どもはいつも反対のことをする。お墓は山につくってほしいが、どうせ聞かないだろうから川にしろと言おう」と、あえて「自分の墓は川淵にしろ」と子どもに伝える。しかし、子どもは父親が死んでから改心し、「こんどばかりはお父の言うことを聞こう」と、素直に川淵にお墓をつくってしまう。
 それから、雨が降るたびに父親のお墓が流れそうになるのを見て、「父(てで)懐(こよ)しい」思いから「てでっぽっぽ」つまり「山鳩」になって、「てでっぽっぽてでっぽっぽ」と鳴くようになった、というなんとも物悲しい話だ。
 子どもは父親を失ってからやっと正直になることができた。だけど父親は子どもを信用しないまま死んだ。二人の気持ちが合わさることはついになかった。
 わたしはどうだろうか。
 あの居酒屋で店長達の期待に応えるには、我慢をし続けるしかなかった。でも、わたしは我慢の末にためてしまったストレスを甘えられる相手にぶつけてしまう。そんな自分の性格は高校のときの失敗でよく分かっていた。
 だから、今のわたしなら居酒屋のバイトを続けようとするのだったら素直な気持ちを店長達に伝えていたと思う。たとえその結果、店長達を失望させてバイトを辞めることになったとしても。
 高校生の頃。内戦状態だった部活動の調整に奔走して疲れ切ったわたしの唯一の拠り所になっていた風太。
 最初は親身にわたしの話を聞いてくれた風太は、最終的にわたしの横暴さに匙を投げた。
『俺は美晴ちゃんのサンドバックじゃない』と。

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