小説

『くずかごの中の正しさ』太田千莉(『走れメロス』)

「私も同じだ。自分と同じ名前の相手が、自分とは異なる振舞いをしている。それはいつ見ても不可思議で、中々理解しづらいものだ」
「もしかして、あなたも」
「ああ。私も君と同じく『メロス』だよ」
 あっさりとした肯定を返してメロス――眼鏡を掛けたメロスはどこか他人事のような口調で再度語り始める。
「一つの物語が産まれるまでには沢山の失敗作が存在する。そうした物語未満の失敗作の塵の山の上に、たった一つの正しい物語が産まれる。そしてここはそんな失敗作のメロスたちが集まる場所なのさ」
「そんな……」
 メロスは言葉を失った。眉唾な話だと否定するべきなのだろうが、何故かそうする気になれなかった。それが正しいのだと、無意識的に思ってしまう説得力を感じた。
「一応、君の疑問の答え合わせをしておこうか。まず、この歪な景色はメロスが、私たちが居たあの村でありシラクスの町だ。尤も、正しい形ではない混沌とした惨状だがね。そして妹だが、ここに来るのはあくまでもメロスだけ。他のキャラクターが来た事は一度も無い。あとは何故名前を知っているのか、と『走れメロス』が何か、という話だったがこちらも説明するかい?」
「いえ……、大丈夫です」
 矢継ぎ早な話に、視線を地面に落としたままメロスは答えた。その両者とも明言されていないだけで、今までの会話の中でハッキリと答えは出ている。論理的で理知的に思える彼がその事に気づいていないはずもなく、言葉の中にメロスを小馬鹿にするようなニュアンスも感じられない。
 多分、頭の中でしっかりと物事の順序を構築出来るからこそ、その順序に固執する癖があるのだろう。メロスはそう結論付けた。
「他に何か質問があれば答えよう。何かあるかい?」
 顔を上げて口を開く。
「あ、あー。えーっと、その」
「どうしたメロスくん」
 酸素を求める金魚の様に口をパクパクさせるメロスにメロスは疑問符を浮かべる。
「あの、僕はあなたをどうお呼びしたら良いんでしょう」
 メロスの問いにメロスは一瞬考え込んだ後、ハッと手を叩く。
「なるほど、確かにメロスくんの言う通りだな。このままではいささか気持ちが悪い」
「ええ、どうしましょうか」
 今ここに居るのは二人だけなので会話をするのにそう困った事は起きないが、自分で無い相手を自分と同じ名前で認識するのはまるで、あべこべな鏡を見ているようで内心どうしても気味が悪い。
「そうだ、これまではどうしていたんですか」
「これまで?」

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