小説

『くずかごの中の正しさ』太田千莉(『走れメロス』)

「あなたの口ぶりからするに、ここに来たメロスは僕が初めてじゃないですよね。その人とはどう呼び合っているのかなって」
「呼んだことが無いな」
「えっ」
「呼ぶほど仲を深められた事がない、と言い換えた方が正確かな。折角だ、私が今までで出会って来たメロスの話をしようか」
 そう言うとメロスは眼鏡のブリッジを中指で押し上げてから、ゆるりと言葉を紡ぐ。
「色々なメロスに出会ってきた。本物以上の熱血漢で警吏の制止も振り切りそのまま暴君ディオニスの殺害に成功したメロスに、本物とは正反対の策略家で人間不信に陥った王を言葉巧みに誑かし実質的に町を支配したメロスも居たかな。どちらも私とは馬が合わなかったみたいでね、すぐに何処かへ行ってしまったよ」
 目の前のメロスと話にあがったメロスの相性が悪いであろうということは容易に想像できた。前者は言わずもがな、後者も理屈っぽい所は似ている気もするが同族嫌悪という言葉もある。それがある意味で自分と同一の存在ともなれば尚更だろう。
「十人十色、千差万別。様々な自我を持ったメロスが居たよ。おっと呼び名の話だったね。どうも私はつい話しすぎてしまって良くない。そうだな、ダモンとでも呼んでくれ」
「分かりました。ではダモンさん」
 何だか口触りの良い名前だとメロスは思った。ダモンと呼ばれた男は答える。
「何だい」
「なんで僕たちは失敗作にされてしまったんでしょう」
「そりゃあ勿論、正しく無かったからさ」
「そう……なんですかね」
「そうだとも。こんな所に来てしまっているのが証明だよ」
 結果論になってしまうけどねとダモンは付け加える。飄々と言い放つダモンにメロスは苦虫を噛んだ様な表情で疑問をぶつけた。
「ダモンさんは平気なんですか? 自分が、自分の人生が失敗作だったと言われてるのに」
「私はそういう失敗作だからね。酷く理知的で愚かなほど理屈的なメロス、それが私。どれだけ納得しがたいような事でも、理屈が通っていれば納得できてしまう。してしまうんだ」
「嫌だったり、許せなかったりはしないんですか」
「本当ならそう思わなければいけないのだろうけれど、この世界に来る誰も彼も、本に記された正しい『メロス』とは異なっている。そしてそれは私も例外ではない。そうして理屈が通ってしまった以上、僕は疑問を持てないんだ。すまないね」
 ダモンの眉が所在なさげに垂れ下がる。それは決してこの世界に対する不満ゆえのものではなく、自分の在り方がメロスに対して不義理であるように思えたからだった。伏目がちなダモンに、メロスはそれ以上の追及を出来なかった。だが自分の中で暴れる感情を呑み込みきれず、とつとつと話し始める。

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